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松平忠和 (上田藩嫡子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平忠和
時代 江戸時代後期
生誕 寛政3年(1791年
死没 文政11年4月10日1828年5月23日
官位 左衛門佐
信濃上田藩世嗣
氏族 藤井松平家
父母 松平忠済
松平忠学
兄弟 忠英忠和丹羽氏昭正室、光柏院、
岡部長慎正室、永井尚監正室、
相馬樹胤正室、柳生俊睦正室、
松平忠徳正室ら
秋田孝季
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松平 忠和(まつだいら ただかず)は、江戸時代後期の信濃国上田藩の世嗣。官位左衛門佐

略歴

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4代藩主・松平忠済の四男として誕生した。正室は秋田孝季娘。長兄・忠英が夭逝した後の嫡子をめぐり、御家騒動となったため、父・忠済の跡は分家からの養子・忠学が継いだ。

忠和は忠学の養子となったが、文政11年(1828年)、家督を継ぐことなく死去した。代わって、播磨国姫路藩酒井家から忠固が養子に迎えられた。