松平忠晃
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松平 忠晃(まつだいら ただあきら、1914年(大正3年)3月8日[1] - 2003年(平成15年)9月1日)は、忍藩最後の藩主松平忠敬の孫で奥平松平家15代当主。海軍大佐、貴族院議員松平忠寿の子。銀行員、茶道家。妻は高木兼二(高木兼寛次男)の次女。子に松平忠昌(現・16代当主)。
経歴
[編集]東京大学経済科卒業[2]。日本銀行勤務より、埼玉銀行会長となった。桜友会初代会長代行、学習院名誉理事、裏千家淡交会埼玉県支部長、関東第 2地区長、日韓親善協会中央会理事長、浦和ロータリークラブ19代会長などを務めた。2003年9月1日、心不全のため89歳で没す[3]。墓所は台東区天眼寺。
脚注
[編集]- ^ 華族名簿. 昭和16年5月31日現在
- ^ 『人事興信録 第25版 下』(人事興信所、1969年)ま138頁
- ^ “松平忠晃氏死去 元埼玉銀行会長”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2003年9月2日). オリジナルの2014年11月2日時点におけるアーカイブ。 2016年12月5日閲覧。