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松平直常

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平直常
時代 江戸時代中期
生誕 延宝7年10月13日1679年11月16日
死没 延享元年5月10日1744年6月20日
改名 松千代丸(幼名)、直常(初名)、直武、直常
別名 処次郎(通称
神号 高秀神霊
戒名 要体院殿真光浄影大居士
墓所 兵庫県明石市人丸町の長寿院
官位 従五位下左兵衛佐従四位下左兵衛督、侍従但馬守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
播磨明石藩
氏族 越前松平家支流明石松平家
父母 松平直明松平定頼養女仙姫
兄弟 直常稲葉恒通正室
松平清照娘浅姫松田友成養女幾代子
直純
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松平 直常(まつだいら なおつね)は、江戸時代中期の大名播磨国明石藩2代藩主。官位従四位下侍従但馬守。直良系越前松平家3代。

生涯

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延宝7年(1679年)、越前国大野藩主・松平直明の長男として江戸にて誕生。天和元年(1681年)、松千代丸から処次郎と改名する。天和2年(1682年)、直明が明石藩へ転封となる。元禄3年(1690年)、元服してを直常と名乗り、5代将軍徳川綱吉御目見した。その後、直武と改名したが、再び直常に戻した。

元禄6年(1693年)、従五位下、左兵衛佐を叙任する。元禄13年(1700年)、伊勢国桑名藩主・松平忠雅の姉・浅姫を正妻として迎えた。元禄14年(1701年)、直明の隠居に伴い家督を相続した。宝永元年(1704年)、和泉国岸和田藩主・岡部長泰摂津国三田藩主・九鬼隆久と共に幕府より大和川改修工事を命ぜられる。宝永4年(1707年)、従四位下、左兵衛督に昇進する。正徳元年(1711年)には大和川改修工事に次いで朝鮮通信使接待役に任ぜられた。これら使役により、先代より窮していた藩の財政は一層困窮することとなった。享保17年(1732年)に享保の大飢饉が起こると、明石藩もイナゴの被害を受けた。享保18年(1733年)、侍従に任ぜられた。元文5年(1740年)、但馬守に改称する。

寛保2年(1742年)、脳卒中となり右足が不自由になった。このため、翌寛保3年(1743年)に家督を長男・直純に譲って隠居した。延享元年(1744年)明石城二の丸にて病没。享年66。

系譜

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参考文献

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  • 黒田義隆編著『明石藩略史』明石葵会、1981年