松平直之 (明石藩主)
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 明和4年11月19日(1768年1月8日) |
死没 | 天明6年4月14日(1786年5月11日) |
改名 | 直松(幼名)、直之 |
別名 | 処次郎(通称) |
戒名 | 龍徳院殿寂誉静性樹光大居士 |
墓所 | 東京都小金井市前原町の幡随院 |
官位 | 従五位下左兵衛佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 播磨明石藩主 |
氏族 | 明石松平家 |
父母 | 松平直泰、園子 |
兄弟 |
直之、直周、直暠、中条信徳、直方、 本多忠曄、有馬広寿、直顕、安藤定則、 千賀直標、直宝、直董、栄、輝、寿、 堀田一権正室、幹、喬、晋、小堀政共正室ら |
子 | 直周 |
松平 直之(まつだいら なおゆき)は、江戸時代中期の大名。播磨国明石藩5代藩主。官位は従五位下左兵衛佐。直良系越前松平家6代。
生涯
[編集]明和4年(1768年)、江戸藩邸にて4代藩主・松平直泰の長男として誕生。安永6年(1777年)に元服し、直泰より直之の諱を与えられる。天明4年(1784年)、世嗣として処次郎の通称を名乗る。初めて10代将軍・徳川家治に御目見する。父の隠居により家督を継ぐ。従五位下に叙任され、左兵衛佐を名乗る。天明5年(1785年)、盛岡藩10代藩主・南部利正の娘・富姫と婚約した。
天明6年(1786年)、江戸藩邸で死去した。享年20。弟・直周が家督を継いだ。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 黒田義隆編著『明石藩略史』明石葵会、1981年