松平輝充
表示
時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
---|---|
生誕 | 文政5年4月11日(1822年5月31日) |
死没 | 文久2年閏8月2日(1862年9月25日) |
改名 | 本庄道教(初名)→松平輝充 |
別名 | 方丘(号) |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
官位 | 従五位下、右京亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上野高崎藩主 |
氏族 | 本庄家→大河内松平家 |
父母 |
父:本庄道昌、母:朝倉氏 養父:松平輝徳 |
兄弟 | 本庄道直、輝充 |
子 | 養子:輝聴 |
松平 輝充(まつだいら てるみち)は、江戸時代後期の上野高崎藩主。高崎藩大河内松平家9代。
生涯
[編集]美濃高富藩主本庄道昌の五男。松平輝徳の養子として、高崎藩に入る。
弘化3年(1846年)9月23日、家督を養子の輝聴に譲って隠居した。隠居後は方丘と号した。文久2年(1862年)に41歳で死去した。
系譜
[編集]父母
側室
- 岡本氏
子女
- 娘、生母は岡本氏
養子