松平頼煕 (松平大膳家)
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 元禄12年11月25日(1700年1月14日) |
死没 | 元文2年9月22日(1737年10月15日) |
別名 | 通称:左近、志摩、号:一風 |
藩 | 讃岐高松藩 |
氏族 | 松平大膳家 |
父母 | 父:松平頼芳、母:津袮 |
妻 | 伊予、渡辺氏 |
子 | 頼桓、頼珍(蜂須賀宗鎮)、頼央(蜂須賀至央) |
松平 頼煕(まつだいら よりひろ)は、江戸時代中期の高松松平家御厄介(一門)。松平大膳家第2代当主。通称は左近、志摩。号は一風。
生涯
[編集]初代当主・松平頼芳(松平頼重の七男)の子として誕生した。母は津袮(大高氏)。
元禄17年(1704年)、連枝として2000石を与えられる。享保20年(1735年)3代藩主・松平頼豊(頼煕の従弟にあたる)が死去すると、頼煕の長男・頼桓がその婿養子として4代藩主となり、自らは頼桓の後見を務めた。元文元年(1736年)、隠居して家督を次男の頼珍(のちの蜂須賀宗鎮)に譲った。元文2年(1737年)9月22日没、享年38。
儒学者・宮村経弼を師とし、漢籍に詳しい教養人で、2代藩主・松平頼常の創設した講堂を再興した。
系譜
[編集]- 室:伊予(大高氏) - 佐野周殊の娘
- 長男:頼桓(1720年 - 1739年) - 松平頼豊養子・高松藩4代藩主
- 次男:頼珍 / 蜂須賀宗鎮(1721年 - 1780年) - 松平大膳家3代当主、のち蜂須賀宗英養子・徳島藩8代藩主
- 室:渡辺氏
- 三男:頼央 / 蜂須賀至央(1737年 - 1754年) - 松平大膳家4代当主、のち蜂須賀宗鎮養子・徳島藩9代藩主
参考文献
[編集]- 『松平大膳家御系譜』(香川県立ミュージアム所蔵)
- 梶原竹軒監修『讃岐人名辞書』(高松製版印刷所)