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松平頼煕 (松平大膳家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 頼煕
時代 江戸時代中期
生誕 元禄12年11月25日1700年1月14日
死没 元文2年9月22日1737年10月15日
別名 通称:左近、志摩、号:一風
讃岐高松藩
氏族 松平大膳家
父母 父:松平頼芳、母:津袮
伊予、渡辺氏
頼桓頼珍(蜂須賀宗鎮)頼央(蜂須賀至央)
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松平 頼煕(まつだいら よりひろ)は、江戸時代中期の高松松平家御厄介(一門)。松平大膳家第2代当主。通称は左近、志摩。号は一風。

生涯

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初代当主・松平頼芳松平頼重の七男)の子として誕生した。母は津袮(大高氏)。

元禄17年(1704年)、連枝として2000石を与えられる。享保20年(1735年)3代藩主・松平頼豊(頼煕の従弟にあたる)が死去すると、頼煕の長男・頼桓がその婿養子として4代藩主となり、自らは頼桓の後見を務めた。元文元年(1736年)、隠居して家督を次男の頼珍(のちの蜂須賀宗鎮)に譲った。元文2年(1737年)9月22日没、享年38。

儒学者・宮村経弼を師とし、漢籍に詳しい教養人で、2代藩主・松平頼常の創設した講堂を再興した。

系譜

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  • 室:伊予(大高氏) - 佐野周殊の娘
  • 室:渡辺氏
    • 三男:頼央 / 蜂須賀至央(1737年 - 1754年) - 松平大膳家4代当主、のち蜂須賀宗鎮養子・徳島藩9代藩主

参考文献

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