松本四郎 (作曲家)
松本 四郎(まつもと しろう、1898年(明治31年)1月1日 - 1970年(昭和45年)1月1日[1][2])は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト。東京都出身。
人物
[編集]代表作に『桜咲く国』[3]『彼女の唄』[4](映画「何が彼女をそうさせたか」主題歌[5][6])、『天神祭どんどこの唄』[4]などがある。『桜咲く国』は、1930年(昭和5年)大阪松竹座『(第5回)春のおどり さくら』で発表。当時の題名は『春の唄』[7]。このときは、松本四良[8]名義で作曲をしている。
1930年(昭和5年)2月、大阪 道頓堀松竹座で松本四良指揮で、リムスキー=コルサコフ「復活祭序曲」、ムソルグスキー「裸山の一夜」を松竹座大管弦楽団が演奏した。主な参加演奏者:土橋武夫(ヴィオラ)、土橋晴雄(セロ)、服部良一(オーボエ)。
松本四郎は、1944年当時、東宝古川緑波一座に、嘱託として所属していた。[9]
東宝、その後、ニッポン放送に在籍していた。
来歴
[編集]生い立ちから東京音楽学校卒業まで
[編集]松本楽器合資会社設立者、ピアノ調律師の松本新吉[10]と母るゐ[11]の間に四男[12]として生まれ、後に東京音楽学校に入学[13]。
1920年(大正9年)、東京音楽学校本科器楽部卒業[14]
宝塚在籍時
[編集]1921年(大正10年)3月、客員として宝塚少女歌劇団に入団。[15]
- 宝塚少女歌劇団での作曲作品(松本四郎名義)
松竹楽劇部での作曲作品
[編集]松竹楽劇部在籍時
1922年(大正11年)、松竹楽劇部生徒養成所開設で移籍。p,384[19]
松本四良名義
[編集]- 春の唄[20][21][22][23][24](後の『桜咲く国』[25])松竹座上演(詞:岸本水府 歌:井上起久子 松竹樂劇部生徒)(コロムビア 商品番号 25819 1930-3)
- 天神祭どんどこの唄 松竹レビュー小唄(詞:倉満 南北 歌:田谷力三、松竹楽劇部女生)(オデオン 商品番号 U2031B 1930-08)[4]
- 春の唄(金剛石編)[26] 松竹座レビュー「春のおどり」(詞:岸本水府 歌:松竹座楽劇部女性徒)(コロムビア 商品番号 26310B 1931-06)[26]
- さくらの唄 松竹レビュー主題歌(詞:菊田 一夫 歌:都小路輝子、コーラス団)(コロムビア 商品番号 26821B 1932-04)[27]
- 春の使 松竹レビュー主題歌(詞:江川 幸一 歌:東京セレネーダス合唱団)(コロムビア 商品番号 26822B 1932-04)[27]
- 思ひ出 松竹大レヴュウ「万華鏡」松竹大レヴュー(詞:江川 幸一 歌:天野喜久代、山田道夫)(ポリドール 商品番号 1071 1932)[28]
- 青春の唄 松竹大レヴュウ「万華鏡」松竹大レヴュー(詞:江川 幸一 歌:青木 晴子 松竹楽劇部生徒)(ポリドール 商品番号 1071 1932)[29]
- 輝く日本 松竹大レヴュー「秋のおどり」(詞:杉岡 幹也 歌:関 種子)(コロムビア 商品番号 27144A 1932-12)[30]
- 建国の歌 松竹大レヴュー「秋のおどり」(詞:杉岡 幹也 歌:コロムビア合唱団)(コロムビア 商品番号 27144B 1932-12)[30]
- インフレーションの唄 松竹大レヴュー「秋のおどり」(詞:杉岡 幹也 歌:若山 千代 外、コーラス 松竹楽劇部女生徒)(コロムビア 商品番号 27145-A 1932-11)[30]
- 娘の水兵 松竹大レヴュー「秋のおどり」(詞:杉岡 幹也 歌:瀧 澄子 外、コーラス 松竹楽劇部女生徒)(コロムビア 商品番号 27145-B 1932-11)[30]
- 酔いごころ 松竹少女歌劇「春のおどり」(詞:森川 良夫 歌:谷 不二男、夢香)(タイヘイ 商品番号 21178B 1937-3)[31]※1934年より大阪松竹少女歌劇に名称変更
1945年以前の作曲作品(松竹楽劇部以外)
[編集]松本四良名義
[編集]- 嵐山の唄 (詞:倉田 啓明 歌:南地石川席 若登美連)(コロムビア 商品番号 25832B 1930-05)[8]
- 思ひ出[32] [33][34][35]帝キネ映画主題歌[36](詞:サトウ ハチロー 歌:松竹合唱団、香椎 園子)(ニットー 商品番号 4035 1930)
- 吉野小唄 (詞:倉田 啓明 歌:橋本 歌仙)(オリエント 商品番号 60231A 1930-06)[37]
- 宮島音頭 (詞:倉田 啓明 歌:橋本 歌仙)(オリエント 商品番号 60231B 1930-06)[37]
- 彼女の唄 帝キネ「何が彼女をそうさせたか」[38]主題歌(詞:川口松太郎 歌:谷田信子)(オデオン 商品番号 U2031A 1930-08)[4]
松本四郎名義
[編集]松本四良名義
[編集]松本四郎名義
[編集]松竹楽劇部在籍時の主な作品(洋楽担当)
[編集]- アルルの女(1923年)(ピアノ演奏:松本四郎)[44][45]
- 第4回 春のおどり 開国文化(洋楽: 松本 四良, 塩尻 精八)(1929年)[46]p,417
- モンゴールの王子(作:川口松太郎 作曲:松本 四郎 出演:上山草人)(1930年)[47][48]
- 第5回 春のおどり さくら(洋楽: 松本 四良, 塩尻 精八)(1930年)[20][49][50]
- 大レヴユウ 夏(洋:松本 四良、音楽指揮:松本 四良)(1931年)[51][52]62:p,213
- 松竹大レビュウ 初春万華鏡(洋:松本四良)(1932年)[51][19]62:p,245 20:p,248
- 春のおどり ラッキイセブン(松本四良、塩尻精八)(1932年)[53]
- べら・ふらんか(盆田銀蔵、松本四良)(1932年)[46]p,419[54]
- 秋のおどり・輝く日本(松本四良)(1932年)[54]
- 青夜調(編曲:松本四良)(1933年)[52]p,390のみ[55]
- 春のおどり(作曲:松本四良 他 指揮:松本四郎)(1934年)[56][57]
- カイエ・ダムール(作曲:松本四郎)(1934年)[58][57]
- 第15回 春のおどり(作曲:松本四郎、杵屋正一郎)(1935年)[59][60]
- ベラ・エスパニア(音楽:松本四郎)(1936年)[61][62]
映画参加作品(1930年代) 音響担当
[編集]- 大都会労働篇(牛原虚彦監督)松竹蒲田 音響を、松本四郎が担当した。(1930年)[63][64]
- 何が彼女をそうさせたか(鈴木重吉監督)帝国キネマ 音響担当:松本四郎。主題歌作曲:『彼女の唄』[4](1930年)[65][66]
- 子守唄(原作脚色川口松太郎、監督鈴木重吉、音響松本四郎)帝国キネマ(1930年)[67][68]
舞台・映画参加作品(1940年代)
[編集]- 高原の歌[69] 古川緑波一座(音楽:松本四郎)(1942年)
- ススメ・フクチャン[70] 古川緑波一座(音楽:松本四郎)(1943年)
- 歌う紙芝居 古川緑波一座(音楽:松本四郎)(1944年)[71]
- 鹽都運城[72][73] 映画(構成:高木俊朗 音楽:松本四郎)冨士スタジオ作品
東宝在籍時参加作品
[編集]- 日劇ステージショー「夏のおどり」[74](音楽:山内匡二、松本四郎)(1948年)
- 禁男の楽園[75] エノケン劇団(音楽:松本四郎)(1948年)
- 歌う不夜城[76](音楽:山内匡二、松本四郎)(1949年)
- 踊る京マチ子と冗談音楽[77](音楽:山内匡二、松本四郎)(1949年)
- 日劇夏まつり(音楽:松本四郎、平岡照章)(1949年)[77]
- 日劇夏のおどり[77](音楽:松本四郎、平岡照章)(1949年)
- ルンバ誕生[76](音楽:松本四郎)(1949年)
- 有頂天時代[77](音楽:松本四郎)(1949年)
- ルムバとワルツ[78](音楽:松本四郎)(1950年)
- N・S・Sパリ・ファンタジー[79](音楽:松本四郎、山内匡二)(1950年)
- モルガンお雪 第1回帝劇コミックオペラ[80][81][82](作者:菊田一夫 音楽:松本四郎)(1951年)出演:越路吹雪、森繁久弥、古川緑波、有島一郎
- マダム貞奴 第2回帝劇ミュージカルス[80](作者:帝劇文芸部 音楽:松本四郎、平岡照章)(1951年)出演:越路吹雪、山茶花究、三木のり平、益田喜頓
- お軽と勘平 第3回帝劇ミュージカルス[80][81](作者:帝劇文芸部 音楽:服部良一、松本四郎)(1951年)出演:榎本健一、越路吹雪
- 歌う不夜城[83] (音楽:松本四郎、北村滋章)(1952年)出演:越路吹雪、池部良、日劇ダンシングチーム
- 浮かれ源氏 -谷崎潤一郎「鷺娘」のパロディー 第4回帝劇ミュージカルス[80][81][84](作者:帝劇文芸部 音楽:服部良一、松本四郎)(1952年)出演:榎本健一、笠置シヅ子、三木のり平
- ボア・ビアージェ[85] (音楽:松本四郎)(1952年)日劇ダンシングチーム
- 赤い絨毯 第7回帝劇ミュージカルス[80][86](作者:帝劇文芸部 音楽:松本四郎 他)出演:森繁久弥、有島一郎
ニッポン放送在籍時
[編集]- ポッポちゃん 連続ドラマ(作曲:松本四郎)(1954年)[87][88][89][90]
- 「愛の鐘」をニッポン放送で電波に(ニッポン放送の「愛の鐘」の組み合わせ(チュ-ブベル4つ)を松本四郎が作った。)(1958年)[91]
ニッポン放送では、音楽部長を務めた。[92]
- 「姫君と鏡」 創作バレエ (「落窪物語」より三島由紀夫:作)「青山圭男+若柳登新作舞踊発表会」の作曲・指揮を担当した。この作品は、昭和26年度(1951)芸術祭に参加した。三島由紀夫の上演台本は、みつかっていない。[93][94]
- 怪談深川情話(犬塚稔監督)音楽担当。[95][96]大映映画(1952年)
- 1953年11月、小牧バレエ団の招きでノラ・ケイとポール・シラードが来日し、「ジゼル」、「双曲線」を日本劇場で上演。[97][98][99]「ジゼル」編曲:松本四郎。[99][98]
その他
[編集]松本四郎が、笠置シヅ子のデビューのきっかけを作ったことを、笠置シヅ子が著書「歌う自画像 私のブギウギ傳記」[100]で書いている。「歌う自画像 私のブギウギ傳記」では、笠置シズ子名義。
笠置シヅ子は、松本四郎はクラシックを教えるときは厳しかったが、ジャズはパーソナリティーが大事だと言って、勝手に歌わせてくれたと、1939年、雑誌「スタア」[101]のインタビューで話している。
松本四郎が、笠置シヅ子に熱心に指導していたことを、秦豊吉も「芸人」[102]の中で、牛の生き血を瓶に詰めたものを笠置に飲ませたと書いている。
今東光は、松本四郎を少しモデルにした小説「裸の恋人」[104][105]を書いている。「裸の恋人」は、産経新聞に、1958年から1960年にかけて連載された連載小説で、その後、発売された単行本「裸の恋人」(中央公論社 1960年)は、上下巻の長編。連続ドラマ「裸の恋人」は、関西テレビで[106][107][108][109][110]放送された(1963年)。主人公松田四郎役:露口茂。
谷崎潤一郎の妻で、「細雪」のモデルである谷崎松子が、松本四郎からピアノを習っていたことや、谷崎潤一郎との恋愛についても相談したことを「湘竹居追想 潤一郎と「細雪」の世界」[111]に書いている。「蘆辺の夢」[112]にも、松本四郎がピアノ製作所の四男であり、東京音楽学校(現:東京芸術大学)を卒業したことが書いてある。
ヴァイオリニスト 辻久子が9歳で、大阪松竹座でデビューすることに、当時松本は大阪松竹少女歌劇(現:OSK日本歌劇団)で教師をしており、そのデビューに尽力したと今東光が語っている。[113][114]
1930年3月20日、大阪松竹座で開幕した「第五回 春のおどり さくら」で歌われた『春の唄』は、同年同月にSPレコードが発売された。レコード盤面では、「松本四朗」名義である。(作詞:岸本水府 歌:井上起久子、松竹楽劇部生徒 コロムビア 番号:25819)[116][22][23]「第五回 春のおどり さくら」(松竹楽劇部の公演)では、「松本四良」名義。[117]JASRACでも、松本四良名義である。[118]
1933年5月、『春の唄』(歌:江戸川 蘭子、松竹少女歌劇声楽専科)のレコードでは、作曲:松本四郎名義。(松竹少女歌劇「東京踊り」主題歌 ポリドール 番号:1368A)[119]
1937年3月、『第十二回春のおどり(桜咲く国)』(歌:笠原シズ子、月ヶ瀬咲子)のレコードでは、松本四良名義。(松竹少女歌劇「春の踊り」 タイヘイ 番号:21178A)[120][121]
笠原シズ子は、笠置シズ子の誤表記である。(1937年当時、シズ子名義。笠置シヅ子を名乗るのは戦後である。[122][123])
1937年9月に発売されたレコード「S.S.Kアルバム」(レコード5枚組)に収録された「口上」(水ノ江 瀧子、オリヱ・津坂)で、『桜咲く国』がBGMで使用されている。(「口上」 コロムビア 番号:29467)[124]
『桜咲く国』が、アメリカ映画「サヨナラ」[125][126]で使われていて、松本没後も著作権料が送られて来ることを、松本四郎の夫人が語っていたそうだ。[124]
脚注
[編集]- ^ 音楽之友社 編『音楽年鑑 昭和31年版』音楽之友社、1956年、263,264頁。
- ^ 「松本 四郎氏(ニッポン放送編集局付顧問)訃報」『読売新聞』1970年1月3日、朝刊。
- ^ OSK日本歌劇団 90周年誌編集委員会 編『桜咲く国で : OSKレビューの90年 : OSK日本歌劇団90周年誌』OSK日本歌劇団、2012年11月、p,4,5頁。
- ^ a b c d e 昭和流行歌総覧 戦前・戦中編 1994, p. 36.
- ^ 「『何が彼女を・・・』ー 発声版 ー」『朝日新聞』1930年6月15日、朝刊。
- ^ 『キネマ旬報(42)[(857)]』キネマ旬報社、1952年7月、75頁。
- ^ OSK日本歌劇団 90周年誌編集委員会 編『桜咲く国で : OSKレビューの90年 : OSK日本歌劇団90周年誌』OSK日本歌劇団、2012年11月、5頁。
- ^ a b 昭和流行歌総覧 戦前・戦中編 1994, p. 27.
- ^ 東京宝塚劇場『東宝十年史』東京宝塚劇場、1944年。
- ^ 前間孝則、岩野裕一『日本のピアノ100年 : ピアノづくりに賭けた人々』草思社、2001年1月、54,99,100,101,102,103,104頁。
- ^ 前間 孝則、岩野 裕一『日本のピアノ100年 ピアノづくりに賭けた人々』草思社、2001年、p,99頁。
- ^ 『月刊楽譜 30(10)』月刊楽譜発行所、1941年10月、84頁。
- ^ 『東京音楽学校創立五十年記念』東京音楽学校、1929年11月、31頁。
- ^ 東京音楽学校『東京音楽学校創立五十年記念』東京音楽学校、1929年11月、31頁。
- ^ 宝塚少女歌劇団 編『宝塚少女歌劇廿年史』宝塚少女歌劇団、1933年、93頁。
- ^ a b 宝塚少女歌劇団 編『宝塚少女歌劇廿年史』宝塚少女歌劇団、1933年、84頁。
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出典
[編集]- 福田俊二 編『昭和流行歌総覧 戦前・戦中編』柘植書房、1994年4月。