松永行
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名前 | ||||||
カタカナ | マツナガ アキラ | |||||
ラテン文字 | MATSUNAGA Akira | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 |
1914年9月21日 大日本帝国, 静岡県志太郡 | |||||
没年月日 | イギリス保護領ソロモン諸島, ガダルカナル島 | |||||
身長 | 170cm[2] | |||||
体重 | 64kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
チーム | ||||||
志太中学校 | ||||||
1935-1937 | 東京文理科大学 | |||||
代表歴 | ||||||
1936 | 日本 | 2 | (1) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
松永 行(まつなが あきら、1914年9月21日 - 1943年1月20日)は、静岡県志太郡出身のサッカー選手。
来歴
[編集]静岡県志太郡東益津村(現焼津市)出身。松永信夫および松永碩は実弟であった。静岡県立志太中学校(現:静岡県立藤枝東高等学校)に入学してサッカー部に所属した[2]。なお、笹野積次は志太中での1年先輩に当たる
フォワードを務め、100メートルを10秒8台で走る俊足であったという。東京文理科大学附置東京高等師範学校に入学し、蹴球部に所属。在学中の1935年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第15回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に中垣内勝久らと出場して準優勝の成績を残した。
1936年のベルリンオリンピックの日本代表に選出。8月4日の本大会1回戦、優勝候補のスウェーデン代表戦で、後半40分に相手ゴールキーパーの股下を抜く逆転ゴールを決め、のちに「ベルリンの奇跡」と称される勝利の立役者となった。
1937年、同校3年の時に陸軍に従軍して静岡の連隊に配属された。なお、その際に松永は「戦争には行きたくない。もう一度ドイツに行って蹴球(サッカー)を学び、指導者になりたい」と妹に語ったと伝わっている[1]。オランダ領東インド方面へ転戦した後、1943年1月に東海林部隊(歩兵第230連隊)の中隊長としてガダルカナル島で戦死した[1]。
ベルリン五輪で松永が着用した日本代表のユニフォームが今日まで残っており、現存する最古の代表ユニフォームとして日本サッカーミュージアムに保管されている。
所属クラブ
[編集]- 静岡県立志太中学校(現:静岡県立藤枝東高等学校)
- 東京文理科大学附置東京高等師範学校
代表歴
[編集]出場大会
[編集]- 1936年:ベルリンオリンピック
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 2試合 1得点 (1936)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1936 | 2 | 1 | 2 | 0 | 4 | 1 |
通算 | 2 | 1 | 2 | 0 | 4 | 1 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1936年08月04日 | ベルリン | スウェーデン | ○3-2 | 鈴木重義 | オリンピック | |
2. | 1936年08月07日 | ベルリン | イタリア | ●0-8 | オリンピック |
得点数
[編集]# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1 | 1936年8月4日 | ドイツ国、ベルリン | スウェーデン | 3-2 | ベルリン五輪 |
提言
[編集]ベルリン五輪終了後、松永はスポーツ誌『体育と競技』に寄稿した「オリムピック蹴球の回顧」と題した記事の中で、将来の日本サッカー界を担う後輩たちに対して提言を残している。
『扨て日本蹴球は、果たして世界のレベルに達してゐるかといふ疑問は自然起る。前述の如く、精神的方面に於ては断然世界レベル以上だ。して又スピードを持ったショートパスに於てもレベル以上だ。このショートパスに関して、独逸の或権威者は、これだけは日本より学んだと言ってゐる。
これだ、ショートパスの速攻法をあくまでも伸ばし、之に加へるに遅攻法をとり、緩急よろしきを得て、始めて日本蹴球の完成の時は来るのであると同時に、この時こそ世界蹴球覇者たり王者たる時なのである。
個人技を練磨せよ。
これこそ日本蹴球人に輿へられた唯一の課題なのである。』
(大日本体育学会編、目黒書店発行 『体育と競技』 v.15 no.11 1936.11 p.69-72)
脚注
[編集]関連文献
[編集]- 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。
- 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 松永行 - Olympedia
- 松永行 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 松永行 - National-Football-Teams.com
- 松永行 - FootballDatabase.eu
- 松永行 - WorldFootball.net
- 松永行 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 松永行 - FIFA主催大会成績
- 戦野に倒れたフットボーラー 松永行さんをガダルカナルで、竹内悌三さんをシベリアで失う - 賀川サッカーライブラリー
- 独立行政法人日本スポーツ振興センター・秩父宮記念スポーツ博物館・所蔵品の紹介・オリンピックの用具用品
- ガダルカナル奪回作戦・陸軍の部隊編成表 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分) - 歩兵第230聯隊の名簿に松永の名がある。