松永雄樹
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松永 雄樹(まつなが ゆうじゅ、嘉永2年8月18日(1849年10月4日) - 大正15年(1926年)11月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将正四位勲二等功四級[1]。高知県平民[2]。
略歴
[編集]土佐国高岡郡新居村(現高知県土佐市)で生まれた。松永眞斎の二男[2]。
1874年(明治7年)11月、海軍兵学校(海軍兵学寮、2期)を卒業し、少尉補任官。1890年(明治23年)「海門」艦長となり、以後、海軍省第1局第2課長、軍務局第1課長などを歴任し日清戦争を迎えた。
1895年(明治28年)、「松島」艦長に着任し、さらに「厳島」艦長、「鎮遠」艦長、呉鎮守府司令官、駐英造兵監督長、佐世保鎮守府艦隊司令官、横須賀鎮守府艦政部長、海軍教育本部長を歴任した。1903年(明治36年)、海軍中将に進級、1905年(明治38年)、馬公要港部司令官に着任した。1907年(明治40年)2月14日、予備役に編入され[3]、1912年(大正元年)8月18日、後備役となる[4]。1914年(大正3年)8月18日に退役した[5]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1887年(明治20年)11月25日 - 勲六等単光旭日章[9]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[10]
- 1892年(明治25年)5月28日 - 勲五等瑞宝章[11]
- 1896年(明治29年)11月25日 - 勲四等瑞宝章[12]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章・明治三十七八年従軍記章[13]
脚注
[編集]- ^ [http://bujinkensyokai.web.fc2.com/matsunagayujyu.html 松永雄樹 〜戦国武将の末裔〜 -FC2
- ^ a b 『人事興信録. 第7版』(大正14年)ま四八
- ^ 『官報』第7086号、明治40年2月15日。
- ^ 『官報』第18号、大正元年8月20日。
- ^ 『官報』第616号、大正3年8月19日。
- ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
- ^ 『官報』第5644号「叙任及辞令」1902年5月1日。
- ^ 『官報』第7107号「叙任及辞令」1907年3月12日。
- ^ 『官報』第1325号「叙任及辞令」1887年11月28日。
- ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
- ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
- ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。