松田吉三郎
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松田 吉三郎(まつだ きちさぶろう、安政5年10月21日[1](1858年11月26日) - 昭和18年(1943年)6月30日[2])は、日本の衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)。
経歴
[編集]加賀国石川郡村井村(現在の石川県白山市)出身[3]。松田太郎兵衛の長男として生まれる[4]。津田純一に法律学を、沼田悟郎に経済学を学んだ[3]。1877年(明治10年)、戸長となり、1884年(明治17年)には石川県会議員に選ばれた[5]。
1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第11回まで9期務めた。第2回衆議院議員総選挙における選挙干渉の際には30余箇所の重軽傷を負った[3][5]。
その他、石川機業会社・北陸鉄道会社の創設に関わり[5]、1889年(明治22年)から1892年(明治25年)まで北陸自由新聞社の経営にあたった[3]。また加能合同銀行取締役を務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ 人事興信録 1915.
- ^ a b 議会制度七十年史 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b c d 新選代議士列伝 1902, p. 334.
- ^ 『大日本人物誌』ま之部1頁。
- ^ a b c 第二十八議会衆議院議員写真列伝 1912, p. 122.
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。