枝川古墳群
枝川古墳群(えだがわこふんぐん)は、高知県吾川郡いの町枝川にある古墳群。3基がいの町指定史跡に指定され、1号墳出土品がいの町指定有形文化財に指定されている。
概要
[編集]高知県中部、宇治川北岸の琴平山南斜面に営造された古墳群である。古墳3基から構成され、東から1・2・3号墳が所在する。それぞれ1966年(昭和41年)・1972年(昭和47年)・1981年(昭和56年)に発掘調査が実施されている[1]。
3基はいずれも埋葬施設を横穴式石室とする。石室の石材はいずれも珪質砂岩である。1号墳では副葬品として須恵器等16点が出土しているが、2・3号墳は後世の盗掘で多くが失われており遺物数点のみが検出されている。副葬品に馬具が見られないことから、被葬者は階層的に馬を持ち得なかったと推測される[2]。古墳群の営造時期は古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀前半頃と推定される。高知県内では、東の物部川水系の香長平野において数多くの後期古墳の築造が知られるが、西の仁淀川水系では古墳の数は少なく年代も後出する。その仁淀川水系において小規模ながら3基の古墳で古墳群を形成する点で貴重な遺跡であり、被葬者は宇治川流域の集落の首長と想定される。
1・2・3号墳の古墳域はそれぞれ1966年(昭和41年)・1973年(昭和48年)・1982年(昭和57年)に旧伊野町指定史跡(現在はいの町指定史跡)に指定されているほか、1号墳出土品は1966年(昭和41年)に旧伊野町指定有形文化財(現在はいの町指定有形文化財)に指定されている。
一覧
[編集]1号墳
[編集]枝川1号墳 | |
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石室開口部 | |
所在地 | 高知県吾川郡いの町枝川石ヶ崎3132番地 |
位置 | 北緯33度33分6.98秒 東経133度27分48.23秒 / 北緯33.5519389度 東経133.4633972度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径10m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 人骨・玉類・銀環・鉄製品・須恵器 |
築造時期 | 7世紀前半 |
史跡 | いの町指定史跡「伊野町枝川古墳群1号墳」 |
有形文化財 | 出土品(いの町指定文化財) |
1号墳は、いの町枝川石ヶ崎にある古墳。形状は円墳。1966年(昭和41年)に発掘調査が実施されている。
墳丘は3基のうち最も良好に遺存し、直径10メートル程度を測る[3]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[4]。
- 玄室:長さ3.21メートル、幅1.2メートル(奥壁)・1.48メートル(玄門部)、高さ1.6メートル(奥壁)・1.35メートル(玄門部)
- 羨道:現存長さ1.2メートル、幅1メートル
石室の石材としては珪質砂岩の割石が使用される[5]。奥壁は4段積みで、側壁は基本的に5段積み(一部4段積み)[4]。玄室天井石は2枚、羨道天井石は欠失(2枚か)[4]。玄室床面には硅岩の平石が敷かれる[4]。石室内からは人骨の一部のほか、玉類(丸玉6・曲玉1)・耳飾(銀碧環1)・武具(鉄刀子2・茎・鞘破片)・須恵器2が出土している[2]。
築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される[4][3]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
2号墳
[編集]枝川2号墳 | |
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石室開口部 | |
所在地 | 高知県吾川郡いの町枝川2111番地 |
位置 | 北緯33度33分8.75秒 東経133度27分41.90秒 / 北緯33.5524306度 東経133.4616389度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 鉄鏃・須恵器 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀前半 |
史跡 | いの町指定史跡「伊野町枝川2号古墳」 |
有形文化財 | 出土遺物(いの町指定史跡附指定) |
2号墳は、いの町枝川にある古墳。1972年(昭和47年)に発掘調査が実施されている。
墳丘は失われているため、元々の墳形は明らかでない。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[4]。
- 玄室:長さ3.30メートル、幅1.75-2.00メートル、高さ1.70-1.95メートル
- 羨道:長さ2.80メートル、幅1.30メートル、高さ1.20-1.30メートル
石室の石材としては珪質砂岩が使用される[4]。側壁は4段積み[4]。天井石は5枚[4]。石室内は盗掘に遭っており、出土品としては鉄鏃1・須恵器5(蓋2・坏2・高坏口縁部1)のみが検出されている[6]。
築造時期は古墳時代後期-終末期の6世紀末葉-7世紀前半頃と推定される[3]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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遠景
3号墳
[編集]枝川3号墳 | |
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石室開口部 | |
所在地 | 高知県吾川郡いの町枝川板屋2231番地 |
位置 | 北緯33度33分8.72秒 東経133度27分37.90秒 / 北緯33.5524222度 東経133.4605278度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 | 左片袖式横穴式石室 |
出土品 | 鉄器・須恵器 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀前半 |
史跡 | いの町指定史跡「伊野町枝川3号古墳」 |
有形文化財 | 出土遺物(いの町指定史跡附指定) |
3号墳は、いの町枝川板屋にある古墳。形状は円墳。1981年(昭和56年)に発掘調査が実施されている。
墳丘は失われているため、元々の墳形は明らかでない。埋葬施設は左片袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[4]。
- 玄室:長さ3.20メートル、幅1.60メートル(奥壁)・1.75メートル(玄門部)・1.77メートル(最大幅)。
石室の石材としては珪質砂岩が使用される[4]。天井石は3枚[4]。石室内は盗掘に遭っており、出土品としては鉄器1・須恵器数点のみが検出されている[7]。
築造時期は古墳時代後期-終末期の6世紀末葉-7世紀前半頃と推定される[3]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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開口部
文化財
[編集]いの町指定文化財
[編集]- 有形文化財
- 伊野町枝川古墳群1号出土品(考古資料) - 明細は以下。1966年(昭和41年)11月29日指定[2]。
- 須恵器2
- 玉類:丸玉6、曲玉1
- 耳飾:銀碧環1
- 武具:鉄刀子2、茎、鞘破片
- 伊野町枝川古墳群1号出土品(考古資料) - 明細は以下。1966年(昭和41年)11月29日指定[2]。
- 史跡
脚注
[編集]- ^ 枝川古墳群(平凡社) 1983.
- ^ a b c 伊野町枝川古墳群1号出土品(いの町ホームページ)。
- ^ a b c d 枝川古墳群(古墳) 1989.
- ^ a b c d e f g h i j k l 枝川古墳群 1985.
- ^ a b 伊野町枝川古墳群1号墳(いの町ホームページ)。
- ^ a b 伊野町枝川2号古墳付一括出土遺物(いの町ホームページ)。
- ^ a b 伊野町枝川3号古墳付一括出土遺物(いの町ホームページ)。
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(伊野町教育委員会設置)
- 地方自治体発行
- 『枝川古墳群』伊野町教育委員会、1985年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- その他
- 「枝川古墳群」『日本歴史地名大系 40 高知県の地名』平凡社、1983年。ISBN 4582490409。
- 阿部里司「枝川古墳群」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 『高知県後期古墳資料集I(高知大学考古学調査研究報告 第7冊)』高知大学人文学部考古学研究室、2009年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 片岡鷹介「伊野町枝川一号墳出土の遺物」『土佐史談』第124号、土佐史談会、1969年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 伊野町枝川古墳群1号墳、伊野町枝川古墳群1号出土品、伊野町枝川2号古墳付一括出土遺物、伊野町枝川3号古墳付一括出土遺物 - いの町ホームページ