柏原市立国分小学校
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柏原市立国分小学校 | |
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北緯34度33分57秒 東経135度38分23秒 / 北緯34.565861度 東経135.639639度座標: 北緯34度33分57秒 東経135度38分23秒 / 北緯34.565861度 東経135.639639度 | |
過去の名称 |
堺県第二十五番小学校 安宿部郡国分小学校 安宿部郡国分尋常高等小学校 南河内郡国分尋常高等小学校 南河内郡国分尋常小学校 南河内郡国分国民学校 国分町立小学校 柏原町立国分小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 柏原市 |
設立年月日 | 1873年3月22日 |
創立者 | 南河内郡国分村ほか |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210007976 |
所在地 | 〒582-0021 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
柏原市立国分小学校(かしわらしりつ こくぶしょうがっこう)は、大阪府柏原市にある公立小学校。
沿革
[編集]明治時代初期の学制発布に伴い、安宿部郡国分村に1873年3月22日、堺県第二十五番小学校として開校した。開校当時の通学区域は、安宿部郡国分村・片山村(町村制実施で玉手村の一部)・高井田村(町村制実施で堅下村の一部)だった。
その後学校制度の変遷を経て、国分尋常高等小学校となった。1887年には安宿部郡玉手村および円明村(町村制実施で玉手村に合併)を通学区域に編入し、さらに町村制の実施により安宿部郡(1896年南河内郡)国分村・玉手村の2村を校区とした。国分村・玉手村は1931年6月1日に合併し、南河内郡国分村(1941年4月1日町制施行で国分町)となっている。
1941年4月1日には国民学校令の実施により、南河内郡国分国民学校となった。さらに1947年の学制改革では、国分町立小学校に改編している。
南河内郡国分町は1956年9月30日、合併によって中河内郡柏原町となった。これに伴い同日付で柏原町立国分小学校に改称した。さらに柏原町は1958年10月1日に市制を施行して柏原市となり、同日付で柏原市立国分小学校に改称した。
地域の宅地化により1970年代以降、玉手(1973年)・旭ヶ丘(1981年)・国分東(2000年)の3小学校が、国分小学校より分離開校している。
年表
[編集]- 1873年3月22日 - 堺県第二十五番小学校として開校。
- 1884年 - 富田林郡役所部内十学区安宿部郡国分小学校に改称。
- 1887年 - 高等科を併置、安宿部郡国分尋常高等小学校に改称。
- 1896年4月1日 - 郡の合併により、南河内郡国分尋常高等小学校に改称。
- 1898年 - 高等科を廃止、南河内郡国分尋常小学校に改称。
- 1908年4月 - 高等科を再開。南河内郡国分尋常高等小学校に改称。
- 1931年6月1日 - 南河内郡国分尋常小学校に改称。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により、大阪府南河内郡国分国民学校に改称。
- 1947年4月1日 - 学制改革により、国分町立小学校に改称。
- 1956年9月30日 - 町村合併により柏原町立国分小学校に改称。
- 1958年10月1日 - 柏原市の市制施行により柏原市立国分小学校に改称。
- 1971年10月 - 完全給食を開始。
- 1973年4月1日 - 柏原市立玉手小学校を分離。
- 1981年4月1日 - 柏原市立旭ヶ丘小学校を分離。
- 1990年2月9日 - 放火により4教室焼失。
- 2000年4月1日 - 柏原市立国分東小学校を分離。
- 2020年4月1日 - 柏原市立国分東小学校を統合[1]。
通学区域
[編集]- 柏原市 国分本町1丁目-7丁目、国分市場1丁目の一部、国分市場2丁目の一部、田辺1丁目-2丁目、国分東条町の一部、大字高井田のうち通称高井田東住宅地区。
- 卒業生は柏原市立国分中学校に進学する。
交通
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 「特集ー国分東・国分小学校統合ー20年の歴史と共に踏み出す新しい一歩」(PDF)『広報かしわら』第804号、柏原市役所、2020年2月25日、2-5頁、2017年8月21日閲覧。