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柏戸宗五郎 (5代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、1881年10月10日 - 1946年8月13日[1])は、現在の新潟県上越市出身で伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は伊勢ノ海 富太郎(旧姓江口)。9代伊勢ノ海。189cm、116kg。最高位は東小結[2]

経歴

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日露戦争で勲功があり、従軍中に知合った伊勢ノ海部屋の力士から角界入りを勧誘され、1907年1月幕下付出で初土俵。1909年6月十両昇進、1910年1月には入幕し、1914年1月に小結に昇進した。しかし心臓病の為に全休し、以後は振るわなかった。すでに師匠が亡くなり二枚鑑札となっており、1918年5月引退し年寄稼業に専念することになった。師匠としては藤ノ川雷五郎などを育てたが、1933年1月場所後錦島部屋に弟子を預け、一時部屋を閉じた。だが1942年1月場所後、後継者として春日山部屋幕内藤ノ川秀剛を譲り受けた。協会内では勝負検査役、理事の要職を務めた[2]

成績

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  • 幕内16場所41勝29敗77休13分預
  • 通算24場所

場所別成績

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柏戸 宗五郎
春場所 夏場所
1907年
(明治40年)
幕下付出
 
東幕下37枚目
 
1908年
(明治41年)
東幕下31枚目
 
東幕下6枚目
 
1909年
(明治42年)
西幕下7枚目
 
西十両4枚目
優勝
6–1 
1910年
(明治43年)
西前頭11枚目
2–3–3
2分
 
西前頭13枚目
0–0–10 
1911年
(明治44年)
東十両筆頭
1–3 
東十両8枚目
4–2 
1912年
(明治45年)
東前頭18枚目
3–5
2分
 
西前頭17枚目
7–1
2分
 
1913年
(大正2年)
西前頭2枚目
2–2–6 
東前頭8枚目
7–1–1
1分
 
1914年
(大正3年)
東小結
0–0–10 
西前頭4枚目
0–0–10 
1915年
(大正4年)
西前頭10枚目
1–1–8 
東前頭17枚目
4–2–4 
1916年
(大正5年)
西前頭14枚目
3–4
1分2預
 
西前頭16枚目
5–4
1分
 
1917年
(大正6年)
東前頭13枚目
1–0–9 
東前頭16枚目
5–4
1預
 
1918年
(大正7年)
西前頭8枚目
1–2–6
1預
 
西前頭16枚目
引退
0–0–10
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

改名

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八國山→柏戸 [3]

外部リンク

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出典 

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010528215823/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19100101.htm
  2. ^ a b ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p30-34
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709