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柳厚祚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳厚祚
各種表記
ハングル 유후조
漢字 柳厚祚
発音: ユ・フジョ
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柳 厚祚(ユ・フジョ、: 유후조1799年 - 1876年)は、李氏朝鮮の政治家。本貫豊山柳氏朝鮮語版は載可、は梅山、洛坡、嶺梅。諡号は文憲公。

生涯

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柳成龍の八世孫にあたる。1840年代から地方官を歴任し、江陵府使に在任中の1858年に、科挙の文科に及第し、正三品に昇進した。1865年に工曹判書となり、正二品に昇進、1866年に右議政に就任した。1867年には左議政に就任したが、1872年に致仕して奉朝賀となった。

朋党政治においては南人派に属したが、議政が選出されるのは1798年に蔡済恭が左議政を退任して以来のことで、異例の人事であった。

参考文献

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