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柳沢安弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
柳沢安弘
時代 江戸時代中期
生誕 元禄7年(1694年
死没 安永8年11月13日1779年12月20日
改名 安弘、弘運(号)
別名 内記、源七郎(通称
戒名 宗泉
墓所 東京都新宿区市谷河田町正覚山月桂寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川吉宗家重家治
氏族 柳沢氏
父母 柳沢保教、田中小右衛門娘
柳沢時附
兄弟 鈴木祐政里光安弘里済
柳沢時附
主水、安長有馬尚久室、女子
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柳沢 安弘(やなぎさわ やすひろ)は、江戸時代中期の旗本通称は内記、源七郎。号は弘運。

武蔵国川越藩士(のち大和国郡山藩士)・柳沢保教柳沢吉保の姉婿である柳沢信花の甥で養子)の次男。母は播磨国林田藩士・田中小右衛門の娘。柳沢時附の養子。妻は時附の娘。

安弘の致仕後、次男の安長が家督を継いだ。

年表

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※日付は旧暦

  • 元文5年(1740年)12月3日 - 養父時附の致仕に伴い、家督を相続する
  • 寛保1年(1741年)10月28日 - 西丸小姓組の番士となる
  • 宝暦5年(1755年)8月15日 - 西丸裏門番頭となる
  • 宝暦5年(1755年)12月18日 - 布衣の着用を許される(六位相当となる)
  • 明和2年(1765年)3月16日 - 西丸裏門番頭を辞職し寄合となる。その際に時服3領を拝領する
  • 明和2年(1765年)8月4日 - 致仕。その際に養老料として300俵を得る。嫡男の安長が家督を継ぐ
  • 安永8年(1779年)11月13日 - 死去。享年86。月桂寺に葬られる。法名は宗泉

系譜

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参考文献

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