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柳沢安長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
柳沢安長
時代 江戸時代中期
生誕 元文1年(1736年
死没 寛政9年11月30日1798年1月16日
別名 弥一郎、源七郎(通称
戒名 了道
墓所 東京都新宿区市谷河田町正覚山月桂寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 柳沢氏
父母 柳沢安弘柳沢時附
兄弟 主水、安長有馬尚久室、女子
飯塚昭之
政位言明
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柳沢 安長(やなぎさわ やすなが)は、江戸時代中期の旗本通称は弥一郎、源七郎。

柳沢安弘の次男。母は柳沢時附の娘。妻は旗本飯塚昭之の娘。

安長の死後、長男の政位が家督を継いだ。

年表

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※日付は旧暦

  • 宝暦12年(1762年)9月28日 - 小姓組の番士となる。のち、西丸勤めと本丸勤めを交互に務める
  • 明和2年(1765年)8月4日 - 父安弘の致仕に伴い、家督を相続する
  • 寛政8年(1796年)12月10日 - 敏次郎(後の将軍徳川家慶)付きとなり西丸勤めとなる
  • 寛政9年(1797年)11月30日 - 死去。享年62。月桂寺に葬られる。法名は了道

参考文献

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