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柳田知常

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柳田 知常(やなぎだ ともつね、1908年5月26日 - 1995年1月25日)は、日本の国文学者俳人

略歴

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岐阜県大垣市出身。別名読み・ちじょう。1930年東京帝国大学文学部国文学科卒。各地の中学教諭を経て、1947年金城女子専門学校教授、72年から金城学院大学学長[1]、79年定年退任、名誉教授となる。1925年キリスト教入信。倉田百三主宰の「生活者」に参加。また俳誌「橋」を主宰する[2]

著書

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  • 『日本語の現在と將來』美濃文化報國會(大垣)〈美濃文化叢書〉、1943年7月。NCID BA6117665X
  • 『コスモスと鰯雲 俳句評論随筆集』早蕨発行所 1958年10月 全国書誌番号:59005794NCID BA36466476
  • 岩野泡鳴論考』明治書院 1969年9月 全国書誌番号:75017634NCID BN0773747X
  • 『作家と宗教意識』緑地社 1971年12月 全国書誌番号:75020918NCID BN12166538
  • 『めだか随筆』早蕨発行所 1974年 全国書誌番号:75018836
  • 『遠景と近景 昭和初年の文学と思想の状況』作家社 1977年10月 NCID BN13921837
  • 志賀直哉の作品』檸檬社 1981年6月 全国書誌番号:82009053NCID BN04047136
  • 『梅雨の坂 柳田知常句集』橋俳句会作家シリーズ 橋俳句会 1991年9月 全国書誌番号:92019406
  • 『文学が好きだということ 柳田知常遺稿珠玉』柳田先生を偲ぶ会編 朝日書林 1997年1月 ISBN 4900616206

共著編

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論文

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脚注

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  1. ^ 沿革 | 大学について”. 強く、優しく。金城学院大学. 2022年2月19日閲覧。
  2. ^ 20世紀日本人名事典