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柴田民男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柴田 民男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都墨田区
生年月日 (1949-04-05) 1949年4月5日(75歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1976年 ドラフト外
初出場 1977年8月2日
最終出場 1977年8月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

柴田 民男(しばた たみお、1949年4月5日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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日大三高では、同期の古賀正明とともに投手陣の中心として活躍。1965年秋季東京大会では1回戦で先発を任されるが、堀越高に大敗。1966年夏の甲子園東京都予選の決勝に進出するが修徳高に敗退、自らの登板はなかった。1966年秋季東京大会では日体荏原高との準々決勝で先発するが、延長15回の末に敗退。1967年夏は都予選準決勝でまたも堀越高に7回コールド負け、甲子園出場はならなかった。古賀以外の高校同期に畑野実三塁手がいる。

高校卒業後は、畑野とともに日本大学へ進学。小山良春(三協精機)、鈴木博三菱自動車川崎)に次ぐ投手として活躍した。東都大学野球リーグでは1971年秋季リーグに優勝。同年の明治神宮野球大会でも亜大を降し初優勝。

大学卒業後は、社会人野球富士重工業へ入団。1974年には日立製作所の補強選手として都市対抗野球に出場。2回戦で新日本製鐵堺に補強された山口高志松下電器)と投手戦を展開、延長14回0-1xでサヨナラ負けを喫した。翌1975年都市対抗野球では富士重工業のエースとして出場するが、1回戦で大丸に敗退。

その後退団し、家業の寿司屋で修行をしていたが、1976年オフにドラフト外大洋ホエールズへ入団[1]。28歳のルーキーとして話題になるが、出場機会には恵まれず1978年限りで現役を引退した[1]

右のオーバーハンドで球の出どころがつかみにくく、コーナーをゆさぶる投球を身上とし、武器はストレート、大小2種類のカーブ、スライダー、決め球はシュートだった。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1977 大洋 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 4.0 8 1 1 0 1 2 0 0 2 2 4.50 2.25
通算:1年 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 4.0 8 1 1 0 1 2 0 0 2 2 4.50 2.25

背番号

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  • 30 (1977年 - 1978年)

脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、268ページ

関連項目

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外部リンク

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