栃ノ峯甚一郎
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栃ノ峯 甚一郎(とちのみね じんいちろう、1907年9月21日[1][2] - 1985年5月13日[1][2])は、昭和時代の大相撲力士。春日野部屋所属[1]。本名は神山 甚一郎[1]。最高位は西十両8枚目。得意技は押し。
大相撲時代
[編集]栃木県河内郡絹島村[1](のち上河内村→上河内町、現在の宇都宮市)出身。春日野部屋に入門し、1926年1月場所に初土俵を踏む。1933年5月場所に十両昇進[2]。十両は連続3場所務めたが、いずれも5勝6敗に終わり、勝ち越すことはできなかった。幕下に落ちてから廃業を決意したが、師匠から新弟子の教育係を命じられた。栃ノ峯の指導を受けた力士に後の横綱・栃錦がいた。1940年5月場所に廃業[2]。
警察官時代
[編集]1941年頃、警視庁に入り警察官となった。1985年5月13日に満77歳で死去した。
主な成績
[編集]- 通算成績:51勝44敗46休 勝率.537
- 十両成績:15勝18敗 勝率.455
- 現役在位:17場所
- 十両在位:11場所
- 各段優勝
- 三段目優勝:1回(1930年5月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1926年 (大正15年) |
(前相撲) | x | x | x | ||
1927年 (昭和2年) |
x | x | x | x | ||
1928年 (昭和3年) |
x | x | x | x | ||
1929年 (昭和4年) |
x | x | x | x | ||
1930年 (昭和5年) |
x | x | 西三段目12枚目 優勝 6–0 |
x | ||
1931年 (昭和6年) |
x | x | x | x | ||
1932年 (昭和7年) |
x | x | x | x | ||
1933年 (昭和8年) |
x | x | 西十両8枚目 5–6 |
x | ||
1934年 (昭和9年) |
東十両11枚目 5–6 |
x | 西十両12枚目 5–6 |
x | ||
1935年 (昭和10年) |
東幕下3枚目 5–6 |
x | 東幕下9枚目 休場 0–0–11 |
x | ||
1936年 (昭和11年) |
東幕下9枚目 休場 0–0–11 |
x | 東幕下9枚目 休場 0–0–11 |
x | ||
1937年 (昭和12年) |
東三段目筆頭 休場 0–0–6 |
x | 西三段目33枚目 休場 0–0–7 |
x | ||
1938年 (昭和13年) |
東三段目40枚目 6–1 |
x | 東三段目3枚目 4–3 |
x | ||
1939年 (昭和14年) |
東幕下28枚目 4–3 |
x | 西幕下15枚目 4–4 |
x | ||
1940年 (昭和15年) |
西幕下12枚目 3–5 |
x | 西幕下17枚目 引退 4–4–0 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 栃ノ峯 勘一郎(とちのみね かんいちろう)1926年1月場所 - 1933年1月場所
- 栃ノ峯 甚一郎(とちのみね じんいちろう)1933年5月場所 - 1940年5月場所
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年