栗原村 (茨城県)
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くりはらむら 栗原村 | |
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廃止日 | 1955年7月22日 |
廃止理由 |
新設合併 栄村、九重村、栗原村 → 桜村 |
現在の自治体 | つくば市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 新治郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 新治郡栄村、九重村、斗利出村、筑波郡豊里町、大穂町 |
栗原村役場 | |
所在地 | 茨城県新治郡栗原村大字栗原 |
座標 | 北緯36度07分24秒 東経140度07分24秒 / 北緯36.12328度 東経140.12336度座標: 北緯36度07分24秒 東経140度07分24秒 / 北緯36.12328度 東経140.12336度 |
ウィキプロジェクト |
栗原村(くりはらむら)は、かつて茨城県新治郡に存在した村である。現在の茨城県つくば市の南東部。明治43年の人口1654。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、旧栗原村、上野村および蓮沼村が合併、新治郡栗原村。
- 1953年(昭和28年)6月15日 - 大字蓮沼を分離、筑波郡大穂町に編入。
- 1955年(昭和30年)7月22日 - 栄村および九重村と合併、新治郡桜村が発足。同日栗原村廃止。
天狗塚
[編集]昭和4年、県道土浦大曾根線改修の際、栗原台の山林中にある天狗塚の一部も道路敷に計画された。切り崩された塚からは多数の白骨が出土する。元治元年の天狗党の乱において土浦藩勢に敗れ坂田から栗原まで敗走し、討ち取られた12人の遺骨である。白骨は拾い集められ、民間の手で買収された県道脇の一角に改めて埋葬された。[1]翌昭和5年には「筑波役尊皇殉難義士之墓」(つくばのえきそんのうじゅんなんぎしのはか)を建て法要が営まれその霊を慰めた。昭和35年、腐朽した木碑は浄財により石碑に建て直され現存する。その地は旧国鉄バス南筑波線天狗塚停留所から訪れることができた。
名所
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 8 茨城県
脚注
[編集]- ^ 但し現在では埋葬されているのは19人とされており、これに対し横瀬夜雨の「天狗塚」では、討伐されたのは12人のはずが掘り出したところ19人分の骨が出てきたとされ、素人の数え間違いか古い塚か墓に投げ込んだからではないかと推測している。