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栗林力吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

栗林 力吉[1](くりばやし りききち[2]1901年明治34年)2月27日[2] - 没年不明)は、日本実業家政治家。栗林総業会長[2]。栗林組会長[2]米子市議会議長[3][4]

経歴

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愛媛県松山市道後湯之町に栗林佐十郎の長男として生まれる[2][注釈 1]湯築高等小学校を卒業した[2]。その後は農業に従事する[2]。18歳の頃より樋口組に入り、土木事業界の人となる[2]

独立し、土建請負業を自営[2][4]鳥取県米子市にて事業の根拠を築きあげる[2]1944年に個人営業を廃業し、栗林組を設立、社長に就任する[2][4]

米子市議会議員、鳥取県議会議員、米子映画社長、リツリン映画社長、鳥取県自家用自動車協会長[1]、鳥取県建設業協会長[4]、西日本建設業保証監査役[4]などを務めた。

人物

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栗林について、『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』には「職業・土木請負、調査年月・1936年2月、正身身代・Z、信用程度・F」とある[5]

『商工資産信用録 第43回』には「職業・土木請負、調査年月・1941年2月、正身身代・U、年扱高又は年収・Q、信用程度・Cc」とある[6]

趣味は読書、映画鑑賞[1]演劇観賞[2]。宗教は曹洞宗[2][4]。住所は鳥取県米子市加茂町2丁目[1][2][4]

栄典

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家族

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栗林家
  • 父・佐十郎 - 愛媛県松山市道後湯之町の人[2]
  • [2][4]
  • 長女、長女の婿[2]、長男[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 出典の記載は「松山市道後湯の町(ママ)」であるが、栗林の生誕当時は松山市との合併前で温泉郡道後湯之町である。

出典

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  1. ^ a b c d e 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月〜昭和44年4月』1425頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『鳥取県大鑑』、212頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
  3. ^ 『米子市勢要覧 昭和27年度版』30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第19版 西日本篇』く289頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
  5. ^ 『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』鳥取県ク之部11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
  6. ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県ク之部8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。

参考文献

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  • 商業興信所編『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』商業興信所、1937年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。
  • 『米子市勢要覧 昭和27年度版』米子市庶務課、1952年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 西日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
  • 『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
  • 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月〜昭和44年4月』日本叙勲者協会、1969年。