栗林力吉
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栗林 力吉[1](くりばやし りききち[2]、1901年(明治34年)2月27日[2] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。栗林総業会長[2]。栗林組会長[2]。米子市議会議長[3][4]。
経歴
[編集]愛媛県松山市道後湯之町に栗林佐十郎の長男として生まれる[2][注釈 1]。湯築高等小学校を卒業した[2]。その後は農業に従事する[2]。18歳の頃より樋口組に入り、土木事業界の人となる[2]。
独立し、土建請負業を自営[2][4]。鳥取県米子市にて事業の根拠を築きあげる[2]。1944年に個人営業を廃業し、栗林組を設立、社長に就任する[2][4]。
米子市議会議員、鳥取県議会議員、米子映画社長、リツリン映画社長、鳥取県自家用自動車協会長[1]、鳥取県建設業協会長[4]、西日本建設業保証監査役[4]などを務めた。
人物
[編集]栗林について、『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』には「職業・土木請負、調査年月・1936年2月、正身身代・Z、信用程度・F」とある[5]。
『商工資産信用録 第43回』には「職業・土木請負、調査年月・1941年2月、正身身代・U、年扱高又は年収・Q、信用程度・Cc」とある[6]。
趣味は読書、映画鑑賞[1]、演劇観賞[2]。宗教は曹洞宗[2][4]。住所は鳥取県米子市加茂町2丁目[1][2][4]。
栄典
[編集]家族
[編集]- 栗林家
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月〜昭和44年4月』1425頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『鳥取県大鑑』、212頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
- ^ 『米子市勢要覧 昭和27年度版』30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第19版 西日本篇』く289頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月6日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』鳥取県ク之部11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県ク之部8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』商業興信所、1937年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。
- 『米子市勢要覧 昭和27年度版』米子市庶務課、1952年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 西日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
- 『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
- 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月〜昭和44年4月』日本叙勲者協会、1969年。