桑原秋成
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 外従五位下・主計助 |
主君 | 桓武天皇 |
氏族 | 桑原公 |
子 | 都腹赤、都貞継 |
桑原 秋成(くわはら の あきなり)は、平安時代初期の官人。姓は公。官位は外従五位下・主計助。
出自
[編集]『新撰姓氏録』によれば、桑原公は上毛野氏の多奇波世君の末裔であるとされる[1]。
経歴
[編集]延暦15年(796年)5月に渤海使・呂定琳を送り届けるために送渤海客使に任ぜられて、上野介・御長広岳と共に渤海へ渡る(この時の官位は正六位上・式部大録)。同年10月に渤海王の啓を携えて朝廷に復命し[2]、御長広岳と共に昇叙を受けて秋成は外従五位下に叙せられる。間もなく大和介として地方官に転ずる。延暦18年(799年)主計助に任ぜられて京官に復している。
官歴
[編集]『日本後紀』による。