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桑原秋成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
桑原秋成
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下主計助
主君 桓武天皇
氏族 桑原
都腹赤都貞継
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桑原 秋成(くわはら の あきなり)は、平安時代初期の官人官位従五位下主計助

出自

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新撰姓氏録』によれば、桑原公は上毛野氏多奇波世君の末裔であるとされる[1]

経歴

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延暦15年(796年)5月に渤海使呂定琳を送り届けるために送渤海客使に任ぜられて、上野介御長広岳と共に渤海へ渡る(この時の官位正六位上式部大録)。同年10月に渤海王の啓を携えて朝廷に復命し[2]、御長広岳と共に昇叙を受けて秋成は外従五位下に叙せられる。間もなく大和介として地方官に転ずる。延暦18年(799年)主計助に任ぜられて京官に復している。

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『新撰姓氏録』豊城入彦命五世孫多奇波世君之後也
  2. ^ 『日本後紀』延暦15年10月2日条
  3. ^ a b 『日本文徳天皇実録』仁寿2年5月22日条

参考文献

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