桜井伊兵衛 (4代)
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4代 桜井 伊兵衛(さくらい いへえ、1854年(安政元年3月[1][2]) - 1896年(明治29年)10月7日[2])は、明治時代の大地主[3][4]、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は勝太郎[5]。雅号・富香[3]。
経歴
[編集]3代桜井伊兵衛、なお子の長男[注 1]としてのちの群馬県西群馬郡高崎本町(高崎町を経て現高崎市)に生まれる[1]。絹太織問屋松屋を経営[5]。1881年(明治14年)高崎町会議員に当選[2]。1885年(明治18年)長野堰連合町村会議員を経て、1887年(明治20年)2月、西群馬、片岡両郡の所得税調査委員となった[6]。日本鉄道創立の際にはその発起人に名を連ね、ほか多数の会社重役を歴任した[7]。
1890年(明治23年)6月10日[3][4]、群馬県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[8]から務めたが、在任中に死去した[2][9]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『群馬県人名大事典』229頁では四男、『群馬新百科事典』342頁では第4子。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 山中啓一『群馬県貴族院多額納税者列伝』山中啓一、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 竹内理三ほか 編纂『群馬県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典10、角川書店、1994年。ISBN 4040021002。
- 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。