桧垣繁正
Shigemasa HIGAKI | |
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基本情報 | |
名前 | 桧垣 繁正 |
生年月日 | 1971年10月17日(53歳) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府 |
経歴 |
桧垣 繁正(ひがき しげまさ、1971年10月17日 - )は、大阪府出身のプロゴルファー。
弟の桧垣豪もプロゴルファー。
来歴
[編集]小学生の頃から英会話、ピアノを習う傍ら、6年生の時に初めてクラブを握ると、箕面自由学園高校在学中に日本ジュニアの代表に選出される[1]。
ゴルフの名門・近畿大学時代[1]は1990年に兵庫県オープンでベストアマを獲得し[2]、報知アマ[3]を当時史上最年少の19歳11ヶ月で制覇[4]したほか、1992年の日本学生では片山晋呉・宮本勝昌・横尾要の“三羽ガラス”を倒して圧勝する[5]。
1994年にプロテストで一発合格し[1]、1995年のダイドードリンコ静岡オープンでツアーデビュー[6]。
1996年にはNST新潟オープンで板井榮一と並んでの10位タイ[7]に入り、NGAオープンでプロ初優勝を果たすと[8]、1997年にはランク20位で初シードを獲得[1]。
1997年のヨネックスオープンでは2日目にアウトで4バーディ・1ボギー、インではボギーなしの5バーディで64をマークして一気にトップに立った[9]。2日目8アンダーで首位に立って迎えた3日目も走り続け、ボギーなし、アウト1バーディ、イン4バーディ[10]の通算13アンダーで単独首位を守った[11]。最初はギャラリーが多くて落ち着かなかったが、6番の初バーディで落ち着き、上がり17番と18番で貯金を増やし、2位の尾崎直道に5打差を付けた[10]。最終日には前日までのゴルフが嘘のように崩れ、16番までは辛うじて優勝の可能性があったが、17番でティショットをOBし、4打目も乗らず、寄らずのトリプルで尾崎直の逆転を許す3位に終わった[12]。
1999年のフジサンケイクラシックでは3日目に快進撃を展開し、午前中はバーディ連取、午後も12番で直接イーグルを放りこんで一時は12アンダーにまで伸ばした[13]。14番でついにボギーを叩くが、危なかった18番では長い8mのパーパット[14]を決め[13]、通算11アンダーで単独首位に立った[14]。最終日は3打差をもってのスタートであったが、3番でボギー先行[15]。アウトは1つ落としたが、インに入ってから10番、11番とバーディも15番でボギー[15]。名物ホールの16番ではセカンドショットが大きく左に曲がったが、OBゾーンへ跳ねたボールは立木に当たって嘘のようにラフへ戻り、乗るか乗らないかが分かれ目の17番を1オン[15]。後は追いかけてくる選手もいない状況で18番は安全に3オンのボギー作戦を取り、貯金を生かした堅実なプレーで逃げ切って、プロ5年目で念願のツアー初優勝を手に入れた[15]。
2005年には7年間維持したシードを失い、2006年からはチャレンジツアーに挑戦し、PGMシリーズ第5戦かさぎチャレンジでは初日に弟・豪と共に67で周り5位タイのスタート[16]を決めた。
2012年のキヤノンオープン[17]を最後にレギュラーツアーから引退し、現在はマハロゴルフスタジオ豊中店でレッスンを担当[18]。
主な優勝
[編集]- 1996年 - NGAオープン
- 1999年 - フジサンケイクラシック
脚注
[編集]- ^ a b c d 桧垣繁正優勝インタビュー(2)
- ^ 大会概要
- ^ 全日本クラブチャンピオンズ 報知アマゴルフ選手権 歴代優勝者
- ^ ゴルフ歴5年の19歳浅井が最年少V – GOLF報知
- ^ 桧垣繁正が単独首位
- ^ 桧垣 繁正選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ NST新潟オープンゴルフ選手権競技 1996 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 桧垣 繁正 ヒガキ シゲマサ SHIGEMASA HIGAKI
- ^ 檜垣繁正、64をマーク。一気にトップへ
- ^ a b 檜垣繁正vs尾崎直道、5打差の一騎討ち?
- ^ 1997年07月12日 単独首位守った桧垣繁正 ヨネックスオープン第3日
- ^ 檜垣、17番で壊滅。直道の逆転優勝
- ^ a b 桧垣繁正、65をマークして11アンダー首位
- ^ a b 1999年05月08日 単独首位の桧垣 フジサンケイゴルフ第3日
- ^ a b c d 桧垣繁正、ついにツアー勝利
- ^ 桧垣繁正と桧垣豪は共に67でまわり5位タイのスタート。
- ^ 桧垣 繁正選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ マハロゴルフスタジオ