森俊春
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 享保11年2月5日(1726年3月8日) |
死没 | 文化3年6月4日(1806年7月19日) |
改名 | 勝五郎、俊春 |
戒名 | 俊晴院殿智道日覚大居士 |
墓所 | 東京都大田区池上の本行寺 |
官位 | 従五位下対馬守、安芸守、佐渡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 播磨三日月藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 父:森長記、母:重 |
兄弟 | 可敦、俊春ら |
妻 | 正室:関長広の娘・類 |
子 |
俊韶、瑞明院、長谷川正満正室、林正周養女、曾代 養女:上田義茂室 |
森 俊春(もり としのぶ)は、江戸時代中期の大名。播磨国三日月藩の第3代藩主。官位は従五位下対馬守、安芸守、佐渡守。
略歴
[編集]2代藩主・森長記の五男として江戸にて誕生。幼名は勝五郎。
元文元年(1736年)、兄の可敦が病弱を理由に廃嫡されたため、世子となる。元文4年(1739年)6月26日、父の隠居で家督を継いだ。延享2年(1745年)4月、幕府より美作国および播磨国において5万4430石の幕領を預かる。家臣深沢君山に命じて、祖先の逸話を著した「森氏雑話」を編纂させた。安永3年(1774年)5月29日、長男・俊韶に家督を譲って隠居した。
文化3年(1806年)6月4日に江戸で死去した。享年81。法号は俊晴院殿智道日覚大居士。墓所は東京都大田区池上の本光寺。