森長篤
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政7年(1795年) |
死没 | 文化13年閏8月23日(1816年9月14日) |
改名 | 猪松、長篤 |
別名 | 内記 |
戒名 | 長篤院殿鶴林日山大居士 |
墓所 | 東京都大田区池上の本行寺 |
官位 | 従五位下対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 播磨三日月藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 |
父:森忠賛、母:不詳 養父:森長義 |
兄弟 |
忠哲、忠敬、長篤、青木可度、可象、 千恵、宮、米津政懿継室、森賛張室、 戸田麟平室、鏈、落合某室、 京極高聡継室、脇坂某室ら |
子 | 養子:長国 |
森 長篤(もり ながあつ)は、江戸時代後期の大名。播磨国三日月藩の第7代藩主。官位は従五位下対馬守。
略歴
[編集]播磨赤穂藩主・森忠賛の11男として江戸にて誕生。幼名は猪松。内記。
文化5年(1808年)8月27日、先代藩主森長義の養嗣子となる。文化6年(1809年)4月1日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年5月20日、養父長義の隠居で跡を継いだ。文化9年(1812年)12月16日、従五位下対馬守に叙任する。
文化13年(1816年)閏8月23日に江戸で死去し、跡を養嗣子の長国が継いだ。法号は長篤院殿鶴林日山大居士。墓所は東京都大田区池上の本光寺。