森安洋文
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名前 | ||||||
愛称 | Hiro | |||||
カタカナ | モリヤス ヒロフミ | |||||
ラテン文字 | MORIYASU Hirofumi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1985年4月23日(39歳) | |||||
出身地 | 東京都 | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2001-2003 | 清水エスパルス | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | JAPANサッカーカレッジ | |||||
2009 | 三菱自動車水島FC | 30 | (0) | |||
2010 | APIAライカート・タイガーズ | 18 | (5) | |||
2010-2012 | シドニーFC | 36 | (2) | |||
2012 | → APIAライカート・タイガーズ (loan) | 4 | (1) | |||
2012-2014 | FC岐阜 | 35 | (1) | |||
通算 | 123 | (9) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
森安 洋文(もりやす ひろふみ、1985年4月23日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー, ミッドフィールダー。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]香川県高松市に生まれる[1]。1歳の時に父親の転勤でアメリカへ渡り、5歳の時に3歳年上の兄[2] を追ってサッカーを始める[3]。小学1年生で一旦日本に戻り、地元のクラブでサッカーを本格的にやり始める[1]。小学4年生の時に再びアメリカに渡り、中学2年生まで過ごす[4]。中学時代はテキサス州にあるダラス・テキサンスSCに所属していた[1]。
高校時代は清水エスパルスユースに所属し[1]、2年生からは右サイドバックのレギュラーとして活躍。3年生の時には国体の静岡県選抜にも選出されるも[3]、トップチーム昇格はかなわなかった。 ユース時代の同期には山本海人、阿部文一朗らがいた。
クラブ
[編集]JAPANサッカーカレッジ・三菱水島FC
[編集]高校卒業後の2004年、北信越1部リーグ・JAPANサッカーカレッジに入校[3]、ここで5年間プレーし技術を磨いた。
修了後の2009年、JFL・三菱自動車水島FCに加入[3]。しかしチームが不況の影響を受けて2009年限りでJFL脱退を決定したことで退団を決める。その後同じJFLのFC町田ゼルビアのセレクションを受けるも不合格[5]。
一時は引退を考えて指導者への転身を視野に入れ、清水エスパルスのキッズスクールで2週間研修を受けたが[5]、「このまま引退したら後悔しか残らない」、「まだサッカーがしたい」[6] と現役への思いを再認識し、2010年2月、海外挑戦を決意[3]。
APIAライカート・タイガーズFC
[編集]3月、ワーキング・ホリデー・ビザを取得してオーストラリアのシドニーへ単身で渡った[3]。少年時代の10年間をアメリカで過ごしていたため、英語は話すことができた[1]。初めにセミプロリーグのNSWプレミアリーグ・ボニーリグ・ホワイトイーグルズFCの練習に参加。しかし2週間経っても連絡はなく[5]、次に同じくNSWプレミアリーグのAPIAライカート・タイガーズFCの練習に参加し、4月に入団が決まった[1]。主にボランチとしてプレーし[5]、リーグ下位に沈んでいたチームの引き上げに貢献した。Aリーグ・シドニーFCのスタッフの目に留まり、6月からトライアルに参加[1]。
シドニーFC
[編集]7月、6週間に及ぶトライアルの末に1年契約を勝ち取り[7]、クラブ史上2人目の日本人選手となる(1人目は現・横浜FCの三浦知良)。シドニーFCでのトライアル中、オーストラリア遠征中のイングランド・プレミアリーグのエヴァートンFCとの親善試合があり、森安もベンチ入りする。ゲストとして出場していた元トリニダード・トバゴ代表のドワイト・ヨークと交代し出場、大舞台を経験する[1]。
シドニーFC入団後の2010-11シーズン、第3節・ブリスベン・ロアーFC戦で初出場。その後スタメンで起用され、第23節・ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC戦で初得点を記録する。活躍が認められ、10月には2年の契約延長を締結した[8]。2011年5月、東日本大震災の影響で延期となったACLグループステージ第2節の鹿島アントラーズ戦、途中出場で国立のピッチに立ち、日本に凱旋を果たした。
2012年4月、シーズンオフを利用してAPIAライカート・タイガーズFCに4試合限定の期限付き移籍で復帰[9]。チームは開幕から3連敗だったが、森安の移籍期間中は2勝2引き分けと成績は上向いた。
2011-12シーズンは出場機会が減少し、コンスタントにプレーできる環境を求めて8月に1年間残った契約を解消した[10]。また9月に元イタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロが加入した影響で、チームの外国人枠からも漏れていた[11]。
FC岐阜
[編集]9月6日からFC岐阜の練習に参加[12]。9月14日、加入が発表された[13]。監督の行徳浩二は、清水エスパルスユース時代にも指導を受けていた[12]。10月21日の第39節・京都サンガF.C.戦、途中交代でJリーグ初出場した。2013年は主にボランチとして服部年宏とコンビを組み、29試合に出場した。
2014年11月27日、FC岐阜公式サイトより、2014年シーズンをもっての契約満了と発表された[14]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- ダラス・テキサンスSC
- 2001年 - 2003年 清水エスパルスユース (静岡サレジオ高等学校)
- アマ・プロ経歴
- 2004年 - 2008年 JAPANサッカーカレッジ
- 2009年 三菱自動車水島FC
- 2010年.4月 - 2010年.7月 APIAライカート・タイガーズFC
- 2010年.7月 - 2012年.8月 シドニーFC
- 2012年.4月 - 2012年.5月 APIAライカート・タイガーズFC (期限付き移籍)
- 2012年.9月 - 2014年 FC岐阜
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | JSC | 北信越1部 | - | ||||||||
2005 | 18 | - | 0 | 0 | |||||||
2006 | 15 | 13 | 2 | - | 1 | 0 | 14 | 2 | |||
2007 | 3 | 13 | 4 | - | 2 | 0 | 15 | 4 | |||
2008 | 5 | 13 | 4 | - | - | 13 | 4 | ||||
2009 | 三菱水島 | 34 | JFL | 30 | 0 | - | 1 | 0 | 31 | 0 | |
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | APIAライカート | NSWプレミア | 18 | 5 | - | - | 18 | 5 | |||
2010-11 | シドニー | 6 | Aリーグ | 28 | 1 | - | - | 28 | 1 | ||
2011-12 | 8 | 1 | - | - | 8 | 1 | |||||
2012 | APIAライカート | NSWプレミア | 4 | 1 | - | - | 4 | 1 | |||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | 岐阜 | 36 | J2 | 3 | 0 | - | - | 3 | 0 | ||
2013 | 23 | 29 | 1 | - | 1 | 0 | 30 | 1 | |||
2014 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J2 | 35 | 1 | - | 2 | 0 | 37 | 1 | ||
日本 | JFL | 30 | 0 | - | 1 | 0 | 31 | 0 | |||
日本 | 北信越1部 | - | |||||||||
オーストラリア | Aリーグ | 36 | 2 | - | - | 36 | 2 | ||||
オーストラリア | NSWプレミア | 22 | 6 | - | - | 22 | 6 | ||||
総通算 | - |
この節の加筆が望まれています。 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | AFC CL | |||
2011 | シドニー | 6 | 6 | 0 |
通算 | AFC | 6 | 0 |
- Aリーグ初出場 - 2010年8月21日 第3節 対ブリスベン・ロアーFC (サンコープ・スタジアム)
- Aリーグ初得点 - 2011年1月3日 第21節 対ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC (ハンター・スタジアム)
- Jリーグ初出場 - 2012年10月21日 J2第39節 対京都サンガF.C. (京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
- Jリーグ初得点 - 2013年7月14日 J2第24節 対ロアッソ熊本 (うまかな・よかなスタジアム)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 第8回 プロサッカー選手 森安洋文さん JAMS WeBLog スポーツグラフィティ BLOG、2010年8月7日
- ^ Aリーグ特集 - 森安洋文 キウイ・ブリーズ、2011年10月12日
- ^ -豪プロサッカーリーグに挑む日本人- シドニーFCのMF 森安洋文 チアーズ、2010年8月3日
- ^ a b c d 明日、鹿島と対戦! シドニーFCの切り込み侍、森安洋文選手に直撃インタビュー! 豪州蹴球奇譚 スポーツナビ+、2011年5月9日
- ^ Aリーグ『シドニーFC』で活躍する日本人プレーヤー 森安 洋文 選手 The Perth Express、2011年1月28日
- ^ Moriyasu joins Sydney FC The World Game on SBS、2010年7月21日
- ^ Sydney FC re-sign Moriyasu Brisbane Times、2010年11月4日
- ^ Moriyasu returning for APIA Leichhardt whereilive、2012年4月20日
- ^ J2岐阜が元シドニーのDF森安を獲得 Goal.com、2012年9月14日
- ^ FC岐阜にDF森安が新加入 シドニーFCから完全移籍 岐阜新聞 Web、2012年9月15日
- ^ a b FC岐阜、北九州に惜敗 20位に順位後退 中日新聞(CHUNICHI Web)、2012年9月15日
- ^ 森安 洋文選手、新加入のお知らせ FC岐阜オフィシャルサイト、2012年9月14日
- ^ 『契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)FC岐阜、2014年11月27日 。2014年12月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 森安洋文 - Soccerway.com
- 森安洋文 - FootballDatabase.eu
- 森安洋文 - WorldFootball.net
- 森安洋文 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 森安洋文 - J.League Data Siteによる選手データ
- hIrO`s liFe
- 森安洋文 (hirofumi.moriyasu) - Facebook
- 森安洋文 (@hiRo6_M) - X(旧Twitter)