コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

森田梧郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森田 梧郎
人物情報
生誕 (1896-02-15) 1896年2月15日
日本の旗 日本新潟県北蒲原郡
死没 2008年1月22日(2008-01-22)(111歳没)
日本の旗 日本新潟県新発田市
出身校 京城帝国大学
学問
研究分野 国語教育
研究機関 朝鮮総督府
テンプレートを表示

森田 梧郎(もりた ごろう、1896年明治29年〉2月15日 - 1950年昭和25年〉4月13日)は、朝鮮総督府の学務官僚。編修官として国語日本語教科書の編纂や、朝鮮における日本語普及政策に携わった。国際経済学者の森田桐郎(元東京大学経済学部教授)は長男。

略歴

[編集]
出生から修学期

1896年(明治29年)、新潟県北蒲原郡乙村(現・胎内市)にて生まれた。1915年、新潟県立新発田中学校を卒業。朝鮮半島に渡り、1918年3月に京城中学校附属臨時小学校教員養成所を卒業。

教員時代

卒業後は朝鮮公立小学校訓導に任じられ、釜山第二尋常小学校に赴任した。1920年、金海公立尋常高等小学校訓導に転任後、同年中に京城櫻井公立尋常小学校訓導に異動。

1930年、京城帝国大学法文学部国語学国文学専攻の選科に入学。指導教官は高木市之助。1931年に同大学選科を修了。卒業論文は『仮名手本忠臣蔵の研究』であった[1]同年、朝鮮総督府学務局編輯課の嘱託に採用され、以後、国語教科書の編集に従事した。1934年3月、予科修了学力検定試験合格に伴い、京城帝国大学法文学部の文学科を卒業し、文学士号を取得した。1935年、朝鮮総督府編修書記に任ぜられ、学務局編輯課への勤務を命ぜられた。

戦後

敗戦に伴い、1945年年末までに故郷の新発田へ引き揚げ。1950年、同地にて死去した。

著書

[編集]
  • 『国語の教へ方』1943
  • 『国語の教へ方』中央協和会〈協和叢書 第16輯〉、1943年8月30日。全国書誌番号:46024211 NDLJP:1126316 

参照

[編集]
  1. ^ 『青丘学叢』4、1931年5月、186頁。