森田民夫
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森田 民夫(もりた たみお、1902年(明治35年)7月18日[1][注 1] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。
経歴
[編集]和歌山県那賀郡に生まれる[2]。1928年(昭和3年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業し、同年高等試験行政科に合格[2]。1930年(昭和5年)4月、台湾総督府内務局に出仕する[2]。1933年(昭和8年)10月、地方理事官となり新竹州中壢郡守に任じ、花蓮港庁庶務課長、府事務官、興亜院事務官、官房情報課長などを歴任し、1942年(昭和17年)1月に官を辞し、皇民奉公会中央本部参事となった[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『台湾人士鑑 昭和12年版』360頁では7月17日生。
出典
[編集]- ^ a b 興南新聞社 1943, 398頁.
- ^ a b c 台湾新民報社 1937, 360頁.