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橋本敬司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋本 敬司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県熊谷市
生年月日 (1958-06-20) 1958年6月20日(66歳)
身長
体重
183 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト4位
初出場 1983年8月30日
最終出場 1989年7月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

橋本 敬司(はしもと けいじ、1958年6月20日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手投手)である。左投左打。

来歴・人物

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熊谷農業高から社会人野球富士重工業に進み、主として救援投手として起用される。1981年都市対抗に出場[1]。同年の日本選手権では、エースの向田佳元とともに活躍しチームの初優勝に貢献。準決勝では河合楽器を降し勝利投手となる。

1981年のプロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから4位指名を受け、翌1982年シーズン終了後に入団。

1年目の1983年終盤に一軍昇格を果たし、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。1984年にはローテーションに定着できなかったものの7試合に先発。ヤクルト戦では3勝と活躍し、「ヤクルトキラー」と呼ばれていた。

1986年オフ、岡本圭右との交換で南海ホークスに移籍。しかし、制球難を克服できずに1990年限りで現役を引退。ホームベースのはるか手前でワンバウンドしたり、捕手がジャンプしても取れないなどの極端な悪球も少なくなかった。球種はカーブ、フォーク。

現役引退後は球団のフロントに入り、福岡ソフトバンクホークスでは査定部門を担当していた。2018年11月4日に退団した[2]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1983 巨人 13 1 0 0 0 1 2 0 -- .333 116 25.1 25 1 13 0 2 21 0 0 11 10 3.55 1.50
1984 28 7 1 0 0 3 4 0 -- .429 311 70.2 47 9 54 1 2 54 1 0 39 33 4.20 1.43
1985 17 3 0 0 0 1 2 0 -- .333 146 32.0 29 3 22 3 0 27 0 0 18 18 5.06 2.22
1987 南海
ダイエー
16 3 0 0 0 0 3 0 -- .000 134 33.1 28 3 12 2 0 11 1 0 18 15 4.05 1.20
1988 11 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 79 16.2 19 3 12 0 0 9 1 0 13 13 7.02 1.86
1989 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 3.0 6 0 3 1 0 1 0 0 2 2 6.00 3.00
通算:6年 87 14 1 0 0 5 11 0 -- .313 801 181.0 154 19 116 7 4 123 3 0 101 91 4.52 1.49
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

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背番号

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  • 32 (1983年 - 1988年)
  • 48 (1989年 - 1990年途中)
  • 114 (1990年途中 - 同年終了)

脚注

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  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ 退団者について 福岡ソフトバンクホークス公式サイト(2018年11月4日配信)2018年11月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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