正月王
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正月王(むつきおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。名は牟都岐王・牟都伎王とも記される。用明天皇皇子・来目皇子の後裔で、長田王の子とする系図がある。官位は従五位下・少納言。
経歴
[編集]称徳朝の神護景雲3年(769年)无位から従五位下に直叙される。光仁朝では、宝亀5年(774年)越中介、宝亀7年(776年)越中守と越中国の国司を務めた後、宝亀10年(779年)左馬頭として京官に復す。
天応元年(781年)桓武天皇の即位後間もなく土佐守に任ぜられると、天応2年(782年)備後守、延暦3年(784年)土佐守と、桓武朝初頭は地方官を歴任する。延暦7年(788年)少納言に遷り再び京官に復した。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 神護景雲3年(769年) 正月29日:従五位下(直叙)
- 宝亀5年(774年) 3月5日:越中介
- 宝亀7年(776年) 3月6日:越中守
- 宝亀10年(779年) 9月4日:左馬頭
- 天応元年(781年) 5月25日:土佐守
- 天応2年(782年) 6月21日:備後守
- 延暦3年(784年) 4月2日:土佐守
- 延暦7年(788年) 7月25日:少納言