正田文右衛門 (6代)
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六代 正田 文右衛門(ろくだい しょうだ ぶんえもん、前名・敏一郎[1]、1890年(明治23年)12月9日[2] - 1973年(昭和48年)7月25日[3])は、日本の実業家、醤油醸造家(亀甲正醸造元)[4]。正田醤油、館林航器各社長[4]。日本醤油協会会長。日本栄養食料(現日本農産工業)監査役[4]。上皇后美智子の実家正田家の本家筋にあたる。
人物
[編集]群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。正田文右衛門の長男[1]。1909年、東京府立第一中学校卒業[5]。1914年、東京高等商業学校卒業[1][6]。醤油醸造業を営んだ[7]。1935年、家督を相続し前名・敏一郎を改め襲名した[4]。1937年、館林航器を創立[2]。趣味はスポーツ[4]、運動[7]。宗教は浄土宗[4][7]。住所は館林目車町(現・館林市栄町)。
家族・親族
[編集]- 正田家
- 曽祖父・三代文右衛門(1818年 - 1895年、文七、米穀商、醤油醸造業)
- 祖父・四代文右衛門(前名・兼太郎)
- 祖母・しん(栃木、長眞人の二女)[8]
- 父・五代文右衛門(1858年 - 1941年、前名・唯一郎、正田醤油取締役社長、館林町長)[1][8]
- 母・あつ(1862年 - ?、栃木、長眞人の四女)[8]
- 姉・きぬ(1880年 - 1970年、群馬、正田貞一郎の妻)[4] - 上皇后美智子の祖母。
- 妹・すま(1895年 - ?、栃木、木村浅七の妻)[4]
- 妹・より(1897年 - ?、群馬、今井泰次郎の妻)[4]
- 弟・卓治(1899年 - ?)[4]、正田醤油取締役、オリエンタル酵母工業会長
- 妻・俊(1897年 - ?、埼玉、高柳二郎の長女[1]、高柳道弥の姉[4])
- 妻・しげ子(1911年- ?、)公爵一條実孝の次女
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録 第9版』シ88頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月8日閲覧。
- ^ a b 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』群馬14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月1日閲覧。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、632頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第13版 上』シ97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月8日閲覧。
- ^ 『東京府立第一中学校五十年史』巻末「如蘭会員及現在生徒名簿」(東京府立第一中学校、1929年)参照。
- ^ 『東京高等商業学校一覧 附・商業教員養成所一覧 自大正3年至4年』大正3年本科卒業生及其就職ノ場所264頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月13日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』シ95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月30日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第4版』し40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京高等商業学校編『東京高等商業学校一覧 附・商業教員養成所一覧 自大正3年至4年』東京高等商業学校、1913-1919年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。