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武藤俊之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武藤 俊之助
(むとう としのすけ)
生誕 1904年10月9日
日本の旗 日本 岐阜県
死没 (1973-11-18) 1973年11月18日(69歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 物理学
研究機関 理化学研究所
九州帝国大学理学部
東京大学物性研究所
日本大学文理学部
出身校 東京帝国大学
主な業績 結晶燐光体の発光現象の量子理論
プロジェクト:人物伝
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武藤 俊之助(むとう としのすけ、1904年(明治37年)10月9日[1] - 1973年(昭和48年)11月18日[1])は、日本の物理学者。専門は原子核物理学東京大学物性研究所第2代所長。東京大学教授。九州大学教授。理学博士

略歴

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岐阜県出身[1]1928年(昭和3年)、東京帝国大学理学部物理学科卒業。1年間の大学院生活を経て[2]1930年(昭和5年)、理化学研究所(石田義雄研究室)研究員[1]1938年(昭和13年)、理学博士。1939年(昭和14年)、九州帝国大学に理学部が設置されるのに伴い、九州帝国大学理学部物理学第一講座初代教授に就任[3]1940年(昭和15年)、プリンストン高等研究所留学[1]。戦後、1946年(昭和21年)、東京大学理工学研究所教授[1]1948年(昭和23年)、東京大学物性研究所に移り、1959年(昭和34年)、同研究所所長[1]1965年(昭和40年)、定年退官[1]。東京大学退官後、日本大学文理学部教授。

日本物理学会委員長、国際理論物理学会組織委員を務め[1]原子力委員会、学術審議会、各委員を歴任した[1]

著書

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  • 『量子理論とその応用 1〜3』 共立 1964
  • 『原子物理学 上』共立 1969
  • 『原子物理学 下』共立 1973

共著

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  • 『最近の物性論における特に興味ある物質』 共立 1963
  • 『色中心』 日本物理学会 1964
  • 『励起子 I,II』 日本物理学会 1965〜1972

脚注

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外部リンク

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