武藤康史
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武藤 康史(むとう やすし、1958年9月8日[1] - )は、日本の評論家、書誌学者、武蔵野音楽大学教授。妻植木朝子は同志社大学教授(元学長)。
来歴
[編集]1958年東京都生まれ。1977年東京都立国立高等学校卒業。1981年慶應義塾大学文学部文学科国文学専攻卒業。1986年慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。中世和歌を専攻。1997年武蔵野音楽大学専任講師、2005年助教授、2007年准教授、2012年教授(日本語・日本文学)[2]。
年譜
[編集]- 1977年
- 1981年
- 同大学院修士課程進学
- 都立高校の非常勤講師を勤める。
人物
[編集]- 都立高校から何校か選び、そこを舞台にした小説や自伝的文章を紹介する「都立高校文学概説」を執筆している(『文学鶴亀』に収録)。
- 大学時代に映画・文学批評の同人誌「キップル」[3]を畑中佳樹、斎藤英治と発行。また、映画評論等を雑誌に寄稿、『マリ・クレール』や『リュミエール』で、古典的教養をポップに語り話題となった。
- 赤瀬川原平の『新解さんの謎』などで有名になった「新明解国語辞典」の独創的な語釈などについても、赤瀬川以前から取り上げていた。『吉田健一集成』(新潮社)における年譜・書誌作成などにも独特の才能を発揮。
- 2008年文藝エッセイ集『文学鶴亀』(国書刊行会)を上梓(題名は愛する作家・里見弴の作品『文学』と『鶴亀』を組み合わせたものである)。
- 「旧字・旧かな」を愛していて、高校2年生の時から、ずっと「旧字・旧かな」で文章を書いている(高校2年の夏休みに、『谷崎潤一郎全集』を完読して、「乗り移った」とのこと)。雑誌などに発表する文章も、一旦「旧字・旧かな」で書いてから、「新字・新かな」になおしていた(あまりの効率の悪さに、三十代なかばに「最初から新字・新かな」でかけるよう、練習して会得したとのこと)
- 若くして事故死した歌人・国文学研究者安藤美保(彼女も「旧かな」で短歌を作る人であった)の日記を、「水夢抄」の題で『短歌往来』に6年にわたって連載していた。『三田文学』に「三田文学の歴史」を連載中。
- 文学作品の朗読を愛し、樋口一葉作品の朗読家、幸田弘子の大ファンである。また、谷川俊太郎の自作朗読も素晴らしいという。朗読会にもよく行き、またラジオでもよく朗読番組を聴いている。
- テレビ番組は嫌いで観ない。テレビは映画をビデオ、DVDで見るために使用しているという。パソコン、インターネットも一切やらない。
著作
[編集]単著
[編集]- 『クイズ新明解国語辞典』(正・続、三省堂、1997)、編著
- 合本新編 『国語辞典で腕だめし』(ちくま文庫、2002)
- 『国語辞典の名語釈』(三省堂、2002/ちくま学芸文庫、2008)
- 『旧制中学入試問題集』(ちくま文庫、2007)
- 『文学鶴亀』(国書刊行会、2008)
共著
[編集]編著
[編集]- (里見弴)『秋日和・彼岸花』(夏目書房、1995/新訂 中公文庫、2023)
- (江藤淳)『アメリカと私/戦後と私』(「作家の自伝75」日本図書センター、1998)
- (柴田武監修)『明解物語』(三省堂、2001)
- 『林芙美子随筆集』(岩波文庫、2003)
- (野口冨士男)『作家の手 野口冨士男随筆集』 (ウェッジ文庫、2009)
翻訳
[編集]- 『道のまん中のウェディングケーキ』スーザン・スタンバーグ, ジョージ・ギャレット編(柴田元幸他と共訳)白水社、1994
- 『明かりが消えて映画が始まる-ポーリン・ケイル映画評論集』(山田宏一監修、畑中佳樹、柴田元幸、斎藤英治と共訳)草思社、2003
外部リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ 『文藝年鑑』2007年
- ^ 外部リンク参照
- ^ なお、「キップル(kipple)」とはSF作家のフィリップ・K・ディックが、彼の小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中で作った造語。「ダイレクト・メールとか、からっぽのマッチ箱とか、ガムの包み紙とか、きのうの新聞とか、そういう役に立たないもの」のことである。