コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

武藤康史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武藤 康史(むとう やすし、1958年9月8日[1] - )は、日本評論家書誌学者武蔵野音楽大学教授。妻植木朝子同志社大学教授(元学長)。

来歴

[編集]

1958年東京都生まれ。1977年東京都立国立高等学校卒業。1981年慶應義塾大学文学部文学科国文学専攻卒業。1986年慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。中世和歌を専攻。1997年武蔵野音楽大学専任講師、2005年助教授、2007年准教授、2012年教授(日本語・日本文学)[2]

年譜

[編集]
1977年
1981年
  • 同大学院修士課程進学
  • 都立高校の非常勤講師を勤める。

人物

[編集]
  • 都立高校から何校か選び、そこを舞台にした小説や自伝的文章を紹介する「都立高校文学概説」を執筆している(『文学鶴亀』に収録)。
  • 大学時代に映画・文学批評の同人誌キップル[3]畑中佳樹斎藤英治と発行。また、映画評論等を雑誌に寄稿、『マリ・クレール』や『リュミエール』で、古典的教養をポップに語り話題となった。
  • 赤瀬川原平の『新解さんの謎』などで有名になった「新明解国語辞典」の独創的な語釈などについても、赤瀬川以前から取り上げていた。『吉田健一集成』(新潮社)における年譜・書誌作成などにも独特の才能を発揮。
  • 2008年文藝エッセイ集『文学鶴亀』(国書刊行会)を上梓(題名は愛する作家・里見弴の作品『文学』と『鶴亀』を組み合わせたものである)。
  • 旧字旧かな」を愛していて、高校2年生の時から、ずっと「旧字・旧かな」で文章を書いている(高校2年の夏休みに、『谷崎潤一郎全集』を完読して、「乗り移った」とのこと)。雑誌などに発表する文章も、一旦「旧字・旧かな」で書いてから、「新字・新かな」になおしていた(あまりの効率の悪さに、三十代なかばに「最初から新字・新かな」でかけるよう、練習して会得したとのこと)
  • 若くして事故死した歌人・国文学研究者安藤美保(彼女も「旧かな」で短歌を作る人であった)の日記を、「水夢抄」の題で『短歌往来』に6年にわたって連載していた。『三田文学』に「三田文学の歴史」を連載中。
  • 文学作品の朗読を愛し、樋口一葉作品の朗読家、幸田弘子の大ファンである。また、谷川俊太郎の自作朗読も素晴らしいという。朗読会にもよく行き、またラジオでもよく朗読番組を聴いている。
  • テレビ番組は嫌いで観ない。テレビは映画をビデオ、DVDで見るために使用しているという。パソコン、インターネットも一切やらない。

著作

[編集]

単著

[編集]
  • 『クイズ新明解国語辞典』(正・続、三省堂、1997)、編著
  • 『国語辞典の名語釈』(三省堂、2002/ちくま学芸文庫、2008)
  • 『旧制中学入試問題集』(ちくま文庫、2007)
  • 『文学鶴亀』(国書刊行会、2008)

共著

[編集]

編著

[編集]

翻訳

[編集]

外部リンク

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『文藝年鑑』2007年
  2. ^ 外部リンク参照
  3. ^ なお、「キップル(kipple)」とはSF作家のフィリップ・K・ディックが、彼の小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中で作った造語。「ダイレクト・メールとか、からっぽのマッチ箱とか、ガムの包み紙とか、きのうの新聞とか、そういう役に立たないもの」のことである。