歩兵第70連隊
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(歩兵第七十連隊から転送)
歩兵第70連隊 | |
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創設 | 1907年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 大阪 - 篠山 |
通称号/略称 | 国4905 |
上級単位 | 第4師団 - 第25師団 |
最終位置 | 宮崎県 野尻 |
戦歴 | 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第70連隊(ほへいだい70れんたい、歩兵第七十聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ(國四九〇五、中部第六十八部隊、満洲第六三四部隊)。
盃ヶ岳、多紀連山など裏山を演習場代わりにした苛烈な訓練で、「丹波の鬼」と称された[1]。
沿革
[編集]- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年)
- 1909年(明治42年)5月23日:第3中隊は歩兵第2連隊(永田克之大佐・水戸)指揮下となり韓国に派遣(明治43年4月29日帰還)。
- 1910年(明治43年)6月8日 :第9中隊151名は清国駐屯軍(阿部貞次郎大佐)指揮下となり天津に駐箚(明治44年7月6日帰還)。
- 1912年(明治45年)3月21日:第7中隊155名は歩兵第1連隊(朝久野勘十郎大佐・東京)指揮下となり朝鮮龍山に駐箚(大正3年4月28日帰還)。
- 1913年(大正元年)9月13日:明治天皇大喪の礼に軍旗を捧持し代表者が参列。
- 1915年(大正3年)11月15~18日:大阪地方で行われた特別大演習にに参加。
- 1916年(大正4年)
- 9月10日:第10中隊155名は支那駐屯軍(斎藤季治郎 少将)指揮下となり北京に駐箚(大正5年10月2日帰還)。
- 12月2日、大正天皇の御大礼観兵式に軍旗を捧持し代表隊が参列。
- 1917年(大正5年)4月12日:歩兵第78連隊(龍山)[注釈 3]編成のため第1中隊を抽出(大正6年4月1日、補欠編成)。
- 1918年(大正6年)11月14~17日:滋賀・岐阜県下で行われた大演習に参加。
- 1919年(大正7年)9月5日:第6中隊156名が青島に駐箚(大正8年7月帰還)。
- 1920年(大正8年)
- 1922年(大正10年)9月3日:第8中隊156名が青島に駐箚(大正11年4月帰還)。
- 1924年(大正12年)9月6日:関東大震災に救護班を編成し派遣。
- 1925年(大正14年)5月5日:第三次軍備整理(宇垣軍縮)から歩兵第70連隊が除外された事で篠山町民により聯隊在置祝賀会が挙行される。
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)12月2日:昭和天皇の御大礼観兵式に軍旗を捧持し代表隊が参列。
- 1929年(昭和4年)6月5日:第4師団の御親閲分列式に参列。
- 1933年(昭和8年)9月:第9中隊156名が天津に駐箚(昭和9年9月帰還)。
- 1934年(昭和9年)9月:第1中隊152名が天津に駐箚(昭和11年9月帰還)。
- 1935年(昭和10年)9月:第7中隊152名が天津に駐箚(昭和11年9月帰還)。
- 1937年(昭和12年)
- 2月 :第4師団は第9師団(蓮沼蕃中将・金沢)に変わり滿洲駐箚が決定。
- 4月20日:『軍令陸甲第一號』により関東軍(植田謙吉大将)戦闘序列編入と滿洲駐箚が下令。
- 4月28日:第一次部隊は篠山口から列車で大阪駅に移動。
- 4月29日:大阪港から出航。第二次部隊は列車で神戸市内に移動後、神戸港から出航。
- 5月2日 :釜山港に上陸。
- 5月7日 :濱江省梨樹鎮に集結。連隊は第12師団(山田乙三中将・久留米)の指揮下に入り、周辺匪賊の春期討伐に参加。
- 6月23日:第4師団隷下に復帰。
- 6月28日:依蘭県に移駐し警備にあたる。
- 7月7日 :支那事變が勃発。
- 9月22日:秋期討伐に参加し三道通方面の戦闘にて匪賊多数を討伐。
- 11月 :大項山・三道通・四道河子地区を警備。
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1943年(昭和18年)12月:「ウ號演習」[注釈 5]を実施。
- 1945年(昭和20年)
- 1月中旬 :新兵備計画。
- 1月20日:決號作戰(本土決戦)に向け『帝國陸海軍作戰計畫大綱』が策定。
- 1月22日:第16方面軍(横山勇中将・福岡)が編成[4]。
- 1月28日:第一次兵備が下令[5]され第25師団は第57師団(上村幹男中将)とともに九州への転用が決定。
- 3月15日:師団は第16方面軍戦闘序列に編入[6]。
- 3月26日:連隊は東安省密山県を出発。
- 4月4日 :釜山に集結。
- 4月5日 :釜山港を出発。
- 4月6日 :博多に上陸。列車にて宮崎県西諸県郡野尻村に到着。連隊本部を大塚原の野尻青年学校に設置。
- 4月上旬:師団は機動打撃師団に位置付けられ、司令部を小林村(現・小林市)北方の山中に開設。
- 4月17日:団体長会議において内地決戦における任務を指令。敵上陸部隊破砕すべく地形偵察・陣地築城・物資保管隧道設定・挺身攻撃(挺身斬込隊)・肉迫攻撃(特別攻撃隊)訓練にあたる。
- 5月 :鹿児島県出水に移駐。
- 6月 :再び野尻村に帰還し敵上陸に備えるなか、
- 8月15日:『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝。
- 8月16日:停戦[注釈 6]。
- 8月29日:大塚原において第25師団・加藤怜三中将臨席のもと、軍旗奉焼式が挙行[注釈 7]。
- 8月19日:復員式を挙行。米軍に軍需品を引渡し、復員完結。
- 8月22日:師団は復員業務を開始。
- 10月13日:復員完結。
連隊満州移駐後の篠山兵営
[編集]- 1940年(昭和15年)10月:歩兵第70連隊補充隊は歩兵第168連隊に改編。[注釈 8]
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 8月16日:停戦。
- 8月28日:『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により兵営は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれる。
- 9月 :米軍進駐を開始し兵営は接収されるが、軍需品の処理が終了するとともに大蔵省に返還(接収時期は不明)。
跡地
[編集]- 1946年(昭和21年)年
- 1948年(昭和23年)3月:兵庫県立医科大学予科は神戸移転。
- 1949年(昭和24年)4月:同 跡地に兵庫県立農科大学が設立。
- 1969年(昭和44年)3月:同大は神戸大学に併合され廃止。
- 1970年(昭和45年):跡地に篠山鋳鉄(昭和47年、三井ミーハナイトメタル篠山製造部)が設立。
- 2006年(平成18年)1月23日:兵営南東側に篠山警察署が移転。
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 飯田左門 | 1907.10.22 - 1910.5.14 | |
2 | 板橋次郎 | 1910.5.14 - 1914.8.10 | |
3 | 細野辰雄 | 1914.8.10 - 1917.8.6 | |
4 | 元田亨吉 | 1917.8.6 - | |
5 | 石関春 | 1921.4.1 - 1923.8.6[7] | |
6 | 中谷勘作 | 1923.8.6 - | |
7 | 加藤惣次郎 | 1926.3.2 - | |
8 | 藤野嘉市 | 1928.8.10 - | |
9 | 土屋喜之助 | 1930.8.1 - | |
10 | 上森猛省 | 1932.8.8 - | |
11 | 中川広 | 1934.8.1 - | |
12 | 越生虎之助 | 1936.8.1 - | |
13 | 石川浩三郎 | 1937.12.8 - | |
14 | 岩部重雄 | 1939.3.9 - | |
15 | 川島正 | 1942.2.9 - | |
末 | 石川粂吉 | 1944.8.25 - |
注釈
[編集]- ^ 1905年(明治38年)10月20日:兵庫県多氣郡篠山町(現・篠山市)出身の森本荘三郎衆議院議員は町会議員を召集し、篠山への新設聯隊誘致を決定し、23日、発起人・森本氏本人、篠山町・多気郡の献納額を定め、25日、聯隊誘致の願書を陸軍省に提出し誘致運動を開始した。 多氣郡住民の土地献納(22町歩2反4歩・・・練兵場14.4町、作業場8.5反、射撃場6.8町、墓地4.1反、交通路4.3畝、憲兵分隊1.5反)が相次ぎ、また陸軍省買収用地(12.8町、兵営、衛戍病院、聯隊區司令部)も地価を大幅に下回る等地域住民の協力の下、円滑に用地習得が進んだ。 篠山町への新設連隊誘致には篠山町出身の森本荘三郎が中心となり、本郷房太郎少将、本庄繁大尉(各肩書は当時)の尽力があった。
- ^ 建物・大林組、練兵場・松村組、射撃場・關谷組が工事請負い。
- ^ 新設 第20師団。
- ^ 補充担任は和歌山に変更。
- ^ 戦力の抽出。 在満師団は駐屯体制に移行。一部復員。編成縮小。
- ^ 第25師団は古豪3コ聯隊(歩14・歩40・歩70)を隷下に持ち、装備・士気・団結も高く、敵上陸部隊破砕を目指し訓練に邁進したが、その真価を発揮する事なく停戦を迎えた。
- ^ 奉焼に先立ち聯隊長・石川粂吉大佐、聯隊旗手・中嶋憲一郎少尉、聯隊副官2名が前夜に旗頭・旗頭金具・軍旗の一部を取り外し保管した。 軍旗の分身は石川大佐、中嶋中尉が保管。 昭和31年6月、石川元大佐が、昭和60年5月、中嶋元中尉が遺族会を通じて篠山町に寄贈、忠霊堂前の遺芳会館内で保存された。
- ^ 第64独立歩兵団 (奈良) 編成基幹。
- ^ 第49師団編成基幹。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』