段原町
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段原町(だんばらまち)は、広島県広島市にかつて存在した町名。現在の町の区域は広島市南区比治山町である[1]。
歴史
[編集]もと「段原村」と称していた[2]。開発年代は詳らかではない[2]。昔この地は海辺であり、葦葭叢生し、所謂葭原だったのを俗間「葭」を「葮」と誤り、草冠を省き遂に今の名に至る[2]。1882年1月、亀島新開(7町9反8畝14歩)、山崎新開(15町9反7畝6歩)及び比治村(17町6反9畝24歩)を当村に合併し、1916年7月1日、村を改めて「段原町」と称した[2]。廃止年月日は、1966年3月15日である[1]。
人口
[編集]1925年末の現住戸数・現住人口は、2469・10198[3]。
経済
[編集]産業
[編集]- 店・企業
- 商工業
- 『日本紳士録』によると、段原町の商工業者は、製綿業の天津、牛乳搾取業の川本、穀物商の生田、金融業の加登、古田、文房具商の坂木、石材商の坂田、土木建築請負業の坂本常蔵、履物商の高木、正岡商店の正岡、日本製鋼所広島工場長の松田、米穀商の宮川、浴場の吉山などがいる[6]。
地主・家主
[編集]『日本紳士録』によると、地主は佐々木、家主は藤井がいる[6]。
地域
[編集]施設
[編集]- 宗教
出身・ゆかりのある人物
[編集]政治・経済
[編集]- 岸田文武(通産官僚、衆議院議員) - 内閣総理大臣岸田文雄の父。
- 岸田正記(不動産業・百貨店経営、衆議院議員) - 岸田文雄の祖父。
- 笹野甚四郎(缶詰製造・精米業)
- 笹野雄太郎(広島女子商業初代理事長、広島県多額納税者[10]、缶詰製造・精米業)
- 鈴川貫一(中国配電社長)
- 妻木伊三郎(土木建築請負業、広島県多額納税者、広島士族)
- 守屋義之(広島電気副社長、広電証券専務取締役)[11]
- 矢尻革二(鈴川合資会社支配人[5]、広島段原郵便局長代理[6])
- 吉岡初太郎(県会議員)[6]
法曹
[編集]軍人
[編集]医療
[編集]学術
[編集]その他
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 廃止町名と現在の町の区域、広島市公式サイト。
- ^ a b c d 『広島市史 第4巻』175頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月6日閲覧。
- ^ 『広島市統計年表 大正14年(第21回)』28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月6日閲覧。
- ^ a b 『日本案内 正巻之中』1034-1035頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月6日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第41回』下編433、434、444頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 『日本紳士録 第35版』広島1 - 28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月7日閲覧。
- ^ 『浄土宗寺院名鑑』17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年7月28日閲覧。
- ^ 『広島史話伝説 第3輯(広島城下・周辺の巻、(続)己斐の巻)』103頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月15日閲覧。
- ^ a b 『広島県紳士名鑑』190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月6日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月6日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』モ20 - 21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本紳士録 第28版』広島1 - 34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 島田良彦、中村周愍編『浄土宗寺院名鑑』浄土教報社、1902年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 開国社編『日本案内 正巻之中』開国社、1919年。
- 交詢社編『日本紳士録 第28版』交詢社、1924年。
- 広島市編『広島市史 第4巻』広島市、1922年-1925年。
- 広島市編『広島市統計年表 大正14年(第21回)』広島市、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第41回』商業興信所、1933年。
- 都築要『広島史話伝説 第3輯(広島城下・周辺の巻、(続)己斐の巻)』郷土史研究会、1969年。