鈴川貫一
鈴川 貫一[1](すずかわ かんいち、1883年(明治16年)11月24日[2] - 1963年(昭和38年)1月22日[3])は、日本の電気技術者、実業家。中国配電(現・中国電力)社長。鈴川合資会社代表社員[4]。
経歴
[編集]広島県・鈴川源三郎の男[5]。段原村(のちの段原町)生まれ[1]。1885年、家督を相続する[5]。広島一中から[6]1902年に岡山第六高等学校に入学[1]、1906年に二部甲類を卒業[7][8]。1909年[6]、京都帝国大学工科大学電気工学科卒業[9]。
旧鹿児島藩の島津家が経営する芹ヶ野金山に赴任[6]、島津公爵家電気事業主任技師[10]となる。1912年、広島呉電力技師長[6]、支配人、取締役、広島電気取締役、技師長、支配人、常務取締役を経て副社長[10]。
また木ノ江電気[9]、境電気[11]、東洋合成化学工業[12]、瀬戸内海横断電力、広電証券、中国塗料、太田川水力各取締役、白石工業、日本電熱器製造各監査役等を務めた[13]。1944年、緑綬褒章を受章[2]。戦後、公職追放となった[14]。
人物
[編集]俊敏穏健な努力家で、副社長の時代から社内外の事務をほとんど一人で切り回し、全く広島電気を背負って立っていた観があった[15]。多年守屋義之社長を助けた[15]。守屋が社長勇退と同時に鈴川が社長になった[15]。
処世の信条は、敬天愛人[10]。趣味は書画、骨董[5]。宗教は真宗[5]。広島市段原町に在籍[10]。住所は広島市段原町[1][13][16]、同市比治山本町[5][12][17]。族籍は広島県平民だった[16]。
家族・親族
[編集]- 鈴川家
家系について、『広島財界今昔物語』によると「生家は福島正則にしたがって尾張清洲からこの地に移り、段原町に居を構えた草分けの旧家である」という[6]。『広島県誌』によると「鈴川家の祖先は福島正則が芸州藩主として来広し、比治山に多聞院を建立した時、院主と共に来た。段原に居を構えた草分けの旧家であり、以来、農、庄屋、戸長、三等郵便局長の職にある」という[1]。
- 父・源三郎(1858年[5] - ?、鋳造家、段原郵便局長[9]) - 父・源三郎は明治維新当時は区長として公共に尽くし、壮年の頃は鋳造家として活動し、また段原郵便局長を務めた[9]。
- 母・カネ(1867年 - ?、広島、吉田三右衛門の長女)[5]
- 養妹(1912年 - ?、旧姓・杉野)[16]
- 妻・キミ(1890年 - ?、広島、中田與兵衛の長女)[5]
- 養子・昌造(1903年 - ?、東洋合成化学工業監査役[17]、旧姓・竹尾)[18]
- 孫[18]
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『広島県誌』889 - 890頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月18日閲覧。
- ^ a b 『紅・緑・藍綬褒章名鑑 明治15年~昭和29年』総理府賞勲局、1980年、p.307。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、659頁。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第44回』下編425頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第12版 上』ス53頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『広島財界今昔物語』119 - 120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月21日閲覧。
- ^ 『第六高等学校一覧 自大正7至8年』第四回卒業生 明治三十九年年239頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月21日閲覧。
- ^ 『同窓會員名簿 昭和17年度』9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月21日閲覧。
- ^ a b c d 『広島県紳士名鑑』208頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月25日閲覧。
- ^ a b c d 『広島県紳士録 昭和8年版』101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月16日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第35回』鳥取県 下編401頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月17日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第41版』広島ス、セ、ソの部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月15日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』ス43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月11日閲覧。
- ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』597頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ a b c 『人的事業大系2(電力篇)』132 - 133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月12日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』す40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月1日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第44版』広島シ、スの部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月2日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』ス47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 第六高等学校編『第六高等学校一覧 自大正7至8年』第六高等学校、1913 - 1926年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第35回』商業興信所、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『広島県誌』自治調査会、1932年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第44回』商業興信所、1936年。
- 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 中外産業調査会編『人的事業大系2(電力篇)』中外産業調査会、1939年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
- 『同窓會員名簿 昭和17年度』六高同窓會、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 井上洋一郎『広島財界今昔物語』政治経済セミナー社、1967年。