氏家親定
表示
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 文禄4年(1595年) |
死没 | 寛永15年4月12日(1638年5月25日) |
別名 | 通称:隠岐、左近 |
主君 | 最上義光→家親→義俊→毛利秀就 |
藩 | 山形藩→長州藩 |
氏族 | 氏家氏 |
父母 | 父:氏家光氏 |
子 | 就棟 |
氏家 親定(うじいえ ちかさだ)は、江戸時代前期の長州藩士。始め最上氏家臣、後に毛利氏家臣となる。
生涯
[編集]文禄4年(1595年)、最上氏の宿老である氏家光氏の子として誕生。
元和8年(1622年)8月21日に最上氏が改易されると、親定は父・光氏と共に毛利氏に預けられ、長州藩へ移り住む。寛永2年(1625年)8月13日には毛利秀就から周防国吉敷郡恒富村[1]に500石を与えられて、毛利氏家臣となった[2]。
寛永15年(1638年)4月12日に44歳で死去。子の就棟が後を継いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻91「氏家与三左衛門」