水野修孝
水野 修孝 | |
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生誕 | 1934年2月24日 |
出身地 | 日本徳島県 |
学歴 | 東京藝術大学、千葉大学 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
水野 修孝(みずの しゅうこう、1934年2月24日 - )は、日本の作曲家、指揮者。[1]
1934年、徳島に生まれる。父親は東京帝国大学で農芸化学を学び卒業後、千葉大学で栄養化学を教えた人物。2歳の時に千葉県茂原市へ引っ越し、現在も千葉県八千代市在住。
戦争末期に疎開を行った際、2回に分けて荷物を運んだが、2回目の荷物を運び出す前に空襲の被害を受ける。1回目に運んだ荷物の中に母親のピアノと、父親のクラシック音楽のレコードコレクションが含まれていたことが、その後の彼の人生を決定づけた。
中学から高校時代、学問、芸術、スポーツなどあらゆることに熱中する。小説家を志し執筆活動をしたり、野球チームに所属し打率5割のトップバッターとなるが、それらの中で音楽に最も惹かれるようになる。千葉県立千葉高等学校[3]から千葉大学文学部に入学後、法経学部法律政治科に転科。学内のオーケストラ(千葉大学管弦楽団)でヴィオラを弾くが、やがて才能が周囲に認められ、大学3年より指揮をするようになる(以後、1995年まで指揮を続けた)。またその頃、東京交響楽団の定期演奏会で聴いた、ヘンツェの交響曲第2番に大きな感銘を受け、作曲家を志す。千葉大学4年の時、音楽を志す決意を完全に固め、半年で受験準備をして東京藝術大学楽理科に入学した。柴田南雄、長谷川良夫、小泉文夫に師事し、専攻科を2年、副手を3年を歴て1961年に卒業した。特に柴田と小泉の2人からは多大な影響を受けた。
東京藝大在学中、小杉武久と出会い、学内でヴァイオリンとチェロで即興演奏を始める。やがて塩見允枝子、刀根康尚、戸島美喜夫、柘植元一、武田明倫が加わり、卒業後「グループ音楽[4]」という集団を結成する。コンサートホールや野外などあらゆる場所で、ジョン・ケージばりの集団音楽パフォーマンスを繰り広げた。当時、藝大にはオノ・ヨーコも出入りしており、舞台上でのパフォーマンスでの共演の経験がある。
作曲家としての正式デビューは、1961年の「金管群のための3つの次元」。初期は、譜面の中に演奏者が自主的に演奏部分や演奏法を選択できる部分を盛り込み、演奏者の自発性を引き出すことを試みる。この頃の代表作としては、「声のオートノミー」(1964年)、「オーケストラ1966」(1966年/1973年改訂)などがある。当時の作品の音響は、師の柴田南雄に逆に影響を与えたとされる。 師の柴田は当時の水野について、『彼は「グループ音楽」を結成して、階段から人間や物体がころげ落ちるような、ジョン・ケージ顔まけの即興的パフォーマンスを実践していたが、一方、卒論「十二音技法の研究」では、ハワード・ハンソンの音程理論に拠りながら、無調音楽における和音構成の可能性について、こちらの頭が痛くなるような精緻きわまる考察を展開した。しかもその年には「金管群のための3つの次元」(1961年)なる作品によって、早くもそれまでの実験と理論的探究を創造にまで昇華させ、さらに専攻科時代には「不確定性技法試論」なる論文をまとめるが、その作業によって彼は1950~60年代の世界の作曲家の最先端の状況を詳細に分析し、その酸いも甘いも知り尽くしてしまった。』と評価している。[5]
1960年代前半、音群的な作曲で即興演奏を組織化する独自な方法論によって注目を集め、「声のオートノミー」がニューヨークのリンカーンセンターで演奏された。
1960年代後半、米国より渡辺貞夫が帰国し、ジャズ理論講座を開催することになると、これを皆出席で受講し、ジャズ理論を完全にマスターする。そしてジャズ作品を次々に発表し始め、1973年に発表されたビッグバンドによる「ジャズ・オーケストラ'73」や、1975年に発表された「ジャズ・オーケストラ'75」は、日野皓正、渡辺香津美、中村誠一、村上秀一らジャズ界のトッププレーヤーたちの手により演奏され、迫力あるドライブ感と大音響で聴衆を圧倒した。特に「'73」は、現代音楽の手法を採り入れた、当時としては非常に破天荒な作風であり、ジャズ、現代音楽の両分野で多大な反響を呼んだ。
1974年、ロックフェラー財団からの招聘で、武満徹、一柳慧、高橋悠治と共に1年間レジデンシャル・アーティストとして渡米し留学。ニューヨーク、サンフランシスコを中心に作曲活動をする。米国の音楽家との交流で「純血文化はやがて淘汰され、これからの世界を席捲していくのは混血文化である」との確信を得て、クラシック、現代音楽、ジャズなど様々なジャンルの技法を一つの作品の中に混在させ、統合を図る「ポスト・モダン」的作風へと結びつき、帰国後に発表の作品に反映される。留学後、自らが日本人であることを意識するようになり、お囃子や和太鼓などの伝統音楽の素材や楽器が高い頻度で作品に登場するようになる。
1975年NHK委嘱の混声合唱のための「幻」で芸術祭優秀賞、1973年と75年にTBMレコードで出したジャズオーケストラ73、ジャズオーケストラ75はジャズディスク大賞3位。1977年NHK委嘱のオペラ「天守物語」は、その後何度も再演されつづけ日本のオペラとしては最もよく上演されるものとなった。1999年の2月の新国立劇場の演目にもなった。
1987年、1961年に構想され、様々な作品で試みたクラシック、現代音楽、ジャズ、ロックなどの技法が、縦横無尽に駆使されている3時間の合唱を含んだ超大作『交響的変容』4部作が完成する。第1部から第3部までは通常のコンサート会場で演奏されたが、第4部「合唱とオーケストラの変容」は、演奏時間2時間、演奏者数700人以上を要する為、上演の機会はないと諦めていたが、バブル経済最盛期であったこと、千葉県の幕張メッセの杮落としで上演された「第3部」が好評を呼んだことなどから、地方自治体援助のもと、大手企業から協賛金が寄せられ、1992年9月20日、幕張メッセで全4部作の上演が実現された。(岩城宏之指揮、東京交響楽団、東京混声合唱団、栗友会合唱団等)。全曲が完成する以前にも第1部~第3部は単体でも演奏され、1984年にはアメリカン交響楽団がニューヨークのカーネギーホールで演奏している [6] 。
その後は、叙情性が増し、歌うような旋律が頻繁に出現するようになる。交響詩『夏』(1989年)交響曲第2番『佐倉』(1991年)歌劇『ミナモ』(1991年)などにその特徴が顕著に現れている。1990年代よりミュージカルを作曲、八千代市の子供のための「泣きたくなったら笑うんだ」(1993年、岡本おさみとの共作)「ミュージカルシアターヒラソル」のための「イノセント・ムーン」(1999年、空矢庵による脚本(盟友の指揮者・金井誠のペンネーム))、などが誕生する。ミュージカルから生まれた親しみやすい旋律は、交響曲第4番(2003年)や千葉室内弦楽合奏団のために作曲した作品にも反映されている。
1955年から1995年まで、千葉大学管弦楽団で、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー等の作品を指揮、1968年には、千葉県初演のベートーヴェンの「交響曲第9番」指揮した。
2011年にマリン・オルソップの指揮でカリフォルニアのサンタ・クルーズ音楽祭で交響詩『夏』を、 2016年に日本オペラ協会公演の都民芸術フェスティバルでオペラ『天守物語』を、2021年に山田和樹の指揮の日本フィルハーモニー交響楽団と東京混声合唱団の定期演奏会にて、交響曲第4番と混声合唱のオートノミーが再演され、再評価の契機となる。
1960年代後半から1999年まで、千葉大学教育学部で教鞭を執りながら、民俗音楽、流行歌を研究した。東京藝術大学講師も務める。千葉大学退職後、静岡文化芸術大学教授、武蔵野美術大学講師を務めた。千葉大学での門下生には青木愛がいる。
語録
[編集]- 『交響曲という形式は多様な種類の音楽をひとつの統一された表現体として構成するのに都合の良い容器である。』
- 『交響曲という形式はひとつのテーマと楽想を中心にジャンルを超えて様々な音楽を同居させて音楽のフルコースとして聴く人を楽しませる事が出来る。』
- 『純血文化はやがて淘汰され、これからの世界を席捲していくのは混血文化である。』
- 『何よりも先ず"音の渦巻きの中で思わず叫び声をあげたくなるような音楽"をつくろうと、ぼくはいつも考えていた。』(ジャズ・オーケストラ’73の解説にて)
- 『教わって習得するものではなく、血の中に自然と流れているものを大切にしなくては何にもならない。それをジャズのビートにぶつけるのだ。』(ジャズ・オーケストラ’73の解説にて)
- 『作曲者として是非ともお願いしたいことが一つある。それはぼくの音楽は出来るだけポリュームをいっぱいにあげて大音量で聴かなくては余り意味がないという事です。なるべく大きな音でガーンとやってもらいたいのです。もし小さな音でカサコソと鳴ったら困るのです。』(ジャズ・オーケストラ’73の解説にて)
- 『今の日本で一番重要なことは日本人が心から楽しめる現代の日本を反映したもの、独自な音楽文化をつくり出すこと。少なくとも東京に来なければ味わえない独自なオペラミュージカルをつくり出すこと。日本が魅力的な国になり大勢の人々を携められるにはこれが必要。』(静岡文化芸術大学文化政策学部芸術文化学科編より「もっと知りたいアート・マネジメント」)
- 『〈天守物語〉〈美女と野獣〉〈ミナモ〉など既に現代の日本が生み出したものが生まれつつあります。一部の人々にのみ限られていて多くの人々に宣伝するお金が無いのです。2回公演して、一億円かかり、助成金等をもらっても2000万円も赤字を出す現実を乗り越えられれば必ず魅力あふれる世界に誇れる独自な舞台が作り出せるところまで来ています。』(静岡文化芸術大学文化政策学部芸術文化学科編より「もっと知りたいアート・マネジメント」)
- 『現代音楽はシラケてたが、ロックは面白かった。』(1975年2月/音楽芸術)
- 『ボクは彼らの肉体美が素直に美しいと感じ、またうらやましいとも思った。白人が黒人と共にロックの中で強力な発言力を獲得したのは特筆すべきことに違いない。白人のやっている現代音楽はシラケててつまらないがロックは面白いのがあるのだ。ボクの仮説は当たっていた。日本に帰りボクは一生懸命にこの問題を考えてる。ここをのり越えた地点で俺たちにしかできないことをやりたい。日本人として。』(1975年2月/音楽芸術)
- 『本当の文化というのはそんなアチラふうではいけないのだ。コチラふうというのはそんな学やらコンクールやらお勉強からは簡単に生まれてこないのである。まず家族や友達や恋人や仲間を大切に思うことだ。そして皆とつき合った喫茶店や道や街や風景に受着を感ずることだ。』(1975年5月/音楽芸術)
- 『何となく不安に感じる事はコスモポリタン派も日本派も共に現在の日本の民衆の音楽から何かを汲み上げているだろうかということである。』(1975年5月/音楽芸術)
- 『大部分の作曲家はそうではなくてもっと違い国や違い時代の完成されたものの中に個人的な共感を見出し、それを模したり、何かと折したりしようとしてるに過ぎないように思えるのだ。』(1975年5月/音楽芸術)
- 『地でゆくこと、地が出せるものしか意味がないのだ。』(1975年5月/音楽芸術)
- 『私は、カラオケ大好きでいつも大学生と踊りながらカラオケやってます。』(水野修孝の音楽とは何か~1992年2月/音楽の世界)
- 『口では言えない事が大事だと思うんだよね。つまり、こうハートに訴えてくるものは言葉には出来ないよね。それが大事だと思うんだよね。』(會田瑞樹の"音楽にとって大切な事とは何でしょうか?"との問いに対して~2016年春/音楽の世界)
- 『ピアノを持っている進駐軍の家に行って演奏をしたら、ご馳走を出してくれて家に泊めてくれた。草野球をしていたら進駐軍の軍人が混ぜろといってきたので一緒に試合をして、アメリカ人が怖くないことを知った。』(萩生哲郎との対談にて~2019年5月)
- 『僕が子どもの時、住んでた茂原の家の近くの公園でね、草野球をやっていたの。そしたら進駐軍の軍人がいきなり「一緒にやろうや」とやってきた。言葉の通じない彼らの「ファールボール!ファールボール!」の大声は今でもはっきり覚えてる。』(瀧沼亮の"大好きな野球での思い出はありますか?"の問いに対して~2024年春)
- 『僕はやっぱり自分の中で浮かんできた気に入った楽想をいくつか書き留めてね、最終的にそういうのが沢山貯まってきた時に、それらをどのように繋げて、全体的に整合性のある形式の中にはめ込むのかを考えますね。』(瀧沼亮が受けた作曲のレッスンにて~2024年春)
- 『僕の最大の交響曲は3時間かかるけどさ、あれはやっぱりかなり計画的に作ったね。第1部を作る時から全体の設計図も作っていたの。同じ楽想が続いちゃうとダラダラしちゃう。』(瀧沼亮が受けた作曲のレッスンにて~2024年春)
- 『僕の好きな曲はいくつかあるけど、私の作品に直接影響してるのはマーラーの交響曲第8番だね。それだけですね。』(瀧沼亮の"影響を受けた憧れの音楽はありますか?"の問いに対して~2024年春)
- 『今まで作ったのを勘定してみたの。386曲あります。大して多くない。モーツァルトやバッハに比べたら。僕にとって、僕の作品は平等に愛する子どもですよ。』(瀧沼亮の"特別な思い入れの作品はありますか?"の問いに対して~2024年春)
- 交響的変容[8](1961~87年) ※全4部で演奏に3時間[9]。
- 第1部「テュッティの変容 (祝典序曲)」(1978年、25分、3管のフルオーケストラ)
- 第2部「メロディーとハーモニーの変容」(1979年、20分、3管のフルオーケストラ)
- 第3部「ビートリズムの変容」(1983年、30分、3管のフルオーケストラ+和太鼓・ティンパニの各ソリスト)
- 第4部「合唱とオーケストラの変容」(1987年、120分、300人のオーケストラ+1000人の合唱+ソプラノ独唱+副指揮者2名+合唱指揮者7名、水野修孝作詞)
- 第1章「予感」
- 第2章「核と原爆への恐れ」
- 第3章「原爆の章」
- 第4章「キリエ(神よあわれみ給え)とカオス」
- 第5章「新しい生命と喜びへの讃歌」
- 第6章「無常観と祈り」
※ 2024年現在、未初演の短縮版も作曲されている。
- 交響曲第1番(1990年)
- 交響曲第2番「佐倉」(1991年/1999年改訂)
- 交響曲第3番(1997年/2001年改訂、文化庁芸術祭優秀賞受賞)
- 交響曲第4番(2003年)
- 交響曲第5番(2022年)
- 交響詩「夏」(1989年)
- 交響詩「千葉」~オペラ"ミナモ"と交響曲第2番"佐倉"の楽想による管弦楽曲~(1991年)
- 日本の旋律によるコンポジション
- 第1番(合津磐梯山、他・1962年)
- 第2番(木曽節、他・1963年)
- 第3番(阿波踊り、他・1964年)
- 第4番(北海盆歌、他・1964年)
- 第5番(花咲音頭、他・1966年)
- 第6番(千葉の民謡による・1990年)
- オーケストラのための仮象(1961年)
- 東京女学館ジュニア・オーケストラのための前奏曲とメヌエット(1964年)
- オーケストラのためのオリジナル(1969年)
- 終わりなき世のための序曲(1984年)
- オーケストラ1966(1966年/1973年改訂)
- オーケストラ1981(1981年)
- オーケストラ2004(2004年)
- 交響組曲「イノセント・ムーン」(2004年)
- 交響組曲「シアター・ストーリー」(2004年・未初演)
- ファンファーレ(1990年)
- ファンファーレ(2004年)
- ファンファーレ(2013年)
- 室内協奏曲(1957~58年・未初演)
- マリンバ協奏曲(1980年)
- 合奏協奏曲(1988年)
- 釧路蝦夷太鼓のための太鼓協奏曲「ええいち」(1993年)
- ヴィオラ協奏曲(2014年)
- ヴィブラフォン協奏曲(2014年・會田瑞樹の委嘱)
- チェロ協奏曲(2015年)
- コントラバスとヴィブラフォンのための二重協奏曲(2019年・會田瑞樹の委嘱)
- 薔薇色の雲(1955年)
- 室内コンポジション(1958年)
- 3つのタクトをもつ金管楽器のためのコンポジション(1959年)
- 弦楽四重奏曲 ハ調(1959年)
- 弦楽四重奏曲 "6月の小さい歌"あるいは"6月の子守歌"(1959年)
- 金管楽器群のための三つの次元(1961年・デビュー作)
- 開けぬ夜の死者のしるべに(1962年)
- 弦のオートノミー(1963年)
- 器楽のオートノミー(1964年)
- ピアノのための仮象(1967年)
- やさしいピアノ小組曲「子供の詩」(1967年)
- (1)そよ風
- (2)ゆりかご
- (3)ワルツ
- (4)しずかなうた
- (5)かげ
- クロストーク1969(1969年)
- ピアノのための「韻」(1970年)
- シンフォニア'71(1971年)
- Spring!!!(He loves me and !!!)~ハープのための(1973年)
- ストレンジ アンサンブル(1974年)
- 指揮者と8人の打楽器奏者のための"鼓"(1974年)
- 馬鹿ばやし(1975年)
- 除夜のためのエチュード(1975年)
- 水晶宮(1978年)
- 鼓の呪文(1978年)
- コンサートのための"空気入れ"の音楽(1978年)
- コンサートのための"酒屋のワン公"の音楽(1978年)
- 宵の宴(1979年、三味線,vn,fl,perc,ked.)
- 王朝バロック風序曲~バロック前奏曲~(1982年)
- 五月のエオリア(1982年、mard,pf,cab,dr)
- 十七絃箏のエオリア(1982年)
- 鼓動(1982年)
- 2台のマリンバと打楽器のための三重奏曲「10月のエオリア」(1983年)
- 鼓の合気(1984年)
- 鼓身(1985年)
- 鼓の弊舞(1985年)
- 打楽三重奏(1986年)
- 天の鼓・地の鼓(1986年)
- 合戦(1986年)
- 時の迷路(1986年)
- むっくりの詩(1988年)
- 電子オルガンのための"秋のエオリア"(1989年)
- 天の鼓(1990年)
- ピアノのための「2羽のアヒル」(1990年)
- ピアノのための「アルプスのやまびこ」(1991年)
- 国民文化祭千葉'91 パーカッションフェスティヴァルのための序曲と終曲(1991年)
- 新松任ばやし(1992年)
- 宴響(1994年)
- モンゴル、ウランバートルコンサートのための"入場音楽"(1994年)
- ミユキのソロ No.1「大太鼓」(1994年)
- ピアノ小曲集(1994~95年)
- (1)追憶、No.1,2,3
- (2)春のかおり
- (3)ある日のこと
- (4)ときめき
- (5)はるかな遠い道
- (6)懐かしいこと
- (7)たそがれ
- (8)懐かしのゴールデンポンド、No1,2,3
- (9)ボサ86
- キーボード・ソロのための"時の魔術"(1995~96年)
- カリンバの音源をもつシンセサイザーのためのソナチネ"時の魔術"(1996)
- 新八千代ばやし(1996年)
- ミユキのソロ No.2(1996年・未初演)
- 宵の宴(1996年版、中国琵琶,二胡,pf,fl,synth,perc.)
- キーボードとマルチ音源のためのエチュード"イヴ"(1996年)
- 中国琵琶のためのソネット"地獄のオルフェ"(1996年)
- "地獄のオルフェ"組曲(1996年)
- (1)ブルース
- (2)マンドリーノ
- (3)デキシー
- フルート、二胡、低音楽器のための4つのカノン(1996年)
- 楊琴のための"合津磐梯山"(1996年)
- ピアノ連弾組曲"ミューズの時"(1998年)
- (1)いつか君と
- (2)ボサ98
- (3)夜の誘い
- (4)マンドリーノ
- (5)愛の夢
- 弦楽四重奏曲"夜の歌"(1996年/1999年改訂)
- Choirchimeのための"カンパネラ"(1999年)
- Choirchimeのための"おやすみなさいお月さま"(1999年)
- Choirchimeのための"愛の子守歌"(1999年)
- 劇音楽"黄昏"の主題による三重奏曲(1999年)
- 室内楽オーケストラのための"インセント"(2000年)
- キーボードとマルチ音源のためのエチュード"アダム"(2000年)
- フーガと変奏(2000年)
- 弦楽のためのアリア(2003年)
- ヴァイオリンとピアノのための幻想曲(2003年)
- シンセサイザーのための"時の魔術"(2003年)
- "追憶"のテーマによるピアノ・ソロ(2003年)
- "一番星と夕映え"・・・挽歌(2004年)
- 2声、3声のインヴェンション(2004年・未初演)
- 秋のセレナーデ~五重奏~(2004年)
- 琴のためのエオリア(2004年)
- 宵の宴(2005年版、尺八,二胡,中国琵琶,21弦箏,打楽器)
- 宵の宴(2006年版、馬頭琴,中国琵琶,大三弦,尺八,20弦箏)
- ソロ三味線のためのパッセージ三章(2006年)
- 2台のピアノのための序曲(2006年)
- 2台のピアノのためのバラード(2006年)
- 2台のピアノのための情緒小品集(2006年)
- 春のセレナーデ(2006年)
- チェーホフの喜劇用音楽「古典組曲」より(2006年)
- 笛と三味線、小鼓・大鼓(2007年)
- 三味線二重奏のための3章(2007年)
- 箏・尺八・三味線のための三重奏(2009年)
- 弦楽合奏のための2つの断片(2009年)
- 弦楽合奏のためのシンフォニア(2009年)
- 三味線、ヴァイオリン、打楽器のためのディヴェルティメント(2010年)
- 弦楽合奏のための"夜の歌"(2011年)
- ピアノ小品集(2013年・全9曲)
- フルート、ヴィオラ、ハープのための"夕映えに"(2014年)
- ピアノ小品集"子供の夢"(2014年)
- スタンダードナンバー名曲集(2015年)
- 独奏打楽器のためのラプソディー(2015年・會田瑞樹の委嘱)
- 独奏ヴィオラのための4章(2015年)
- ヴィブラフォン独奏'2015(2015年・會田瑞樹の委嘱)
- 尺八とヴィブラフォンのための二重奏組曲(2015年・會田瑞樹の委嘱)
- 金属打楽器と電子音楽のための〈響層〉(2015年・會田瑞樹の委嘱)
- 室内楽五重奏曲(2016年)
- ふたりのマリンバ奏者のための3章(2016年・會田瑞樹の委嘱)
- 夕べの歌・・・独奏ギター&伴奏ギター、あるいは伴奏キーボードのための(2018年)
- ピアノのための無言歌集(2019年・全33曲)
- コントラバス独奏のための3章(2019年)
- ピアノ連弾組曲"シアター・ストーリー"(2019年)
- ピアノ組曲"ミューズの時"~独奏版~(2019年)
- バリトン独唱、篠笛、三味線、箏のための"光と風の昔話"(2019年)
- 独奏ヴァイオリンのための3章(2019年)
- ヴィブラフォン 2021-詩音(2021年・會田瑞樹と佐原詩音の結婚を記念して)
- ピアノ・ソナタ(2022年・萩生哲郎の委嘱)
- 4手のための連弾組曲"イノセント・ムーン"(2022年)
- ヴィブラフォン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための四重奏曲(2022年・會田瑞樹の委嘱)
- 片手のためのピアノ曲 Op.387(2024年・萩生哲郎の委嘱)
- 天守物語(1977年)
- 美女と野獣(1989年/2003年改訂)
- ミナモ(1991年、1991年千葉県文化功労賞受賞)
- 泣きたくなったら笑うんだ(1993年)
- 1)オープニング・コーラス(合唱)
- 2)朝の風景(背景音楽)
- 3)朝の情景(背景とダンス)
- 4)時計のことを考えていると(重唱)
- 5)お尻に火がついた(合唱)
- 6)先生(合唱)
- 7)跳び箱が飛べたとき(女児の独唱と合唱)
- 8)放課後の情景音楽
- 9)兄へ(重唱)
- 10)かわいいリボン(女児独唱)
- 11)ひっこし(同上)
- 12)けんか(合唱)
- 13)オナラ(同上)
- 14)一番星と太陽(女児の独唱、重唱、合唱)
- 15)台所の音楽隊(合唱)
- 16)お母さんの手じゃない(女子中学生の独唱と重唱)
- 17)お父さんのげんこつ(男児達5〜6人の独唱・重唱)
- 18)るすばん(女児の独唱)
- 19)今日のお父さんの帰りが(男児独唱)
- 20)バラバラ家族の背景音楽
- 21)足音(全員の合唱)
- 22)おおげさなお父さん(男児独唱)
- 23)母のおなか(女児独唱)
- 24)ひまわり(女声合唱+子供達の合唱)
- 25)父の仕事(混声合唱)
- 26)おやすみの情景音楽
- 27)顔くらべ(女児独唱+男児独唱+子供達の合唱)
- 28)フィナーレ(児童合唱と混声合唱)
- 時空の絆(1996年)
- イノセント・ムーン(1999年)
- 1)ルナの嘆き
- 2)ハートに火をつけるのは誰?
- 3)我ら突撃レポーター
- 4)テレビのない村
- 5)ラビスター音頭
- 6)我らが守りの主ルナ様
- 7)お母様でしょ。あなたはきれい、美しいわ。
- 8)君!数字が一番だよ
- 9)都会の暮らしはナイスです
- 10)人を好きになると
- 11)わしの娘は
- 12)あなたにとって一番大切なものはなに?
- 12-2)僕は変わるんだ
- 13)もう一度歌声に包まれて(ボタンのかけちがい)
- 14)おそまきながら文化開花よ
- 14-2)愛を叫ぼう
- 15)光の音楽
- 16)ルナの祈り
- 17)愛の復活
- 18)フィナーレ
- シアター・ストーリー(2001年)
- 1)序曲
- 2)愛と夢の翼広げ
- 3)僕だっていつか
- 4)少女を探す少年(君を探し出せるなら)
- 5)待つ女
- 6)間奏曲とワルツ
- 7)今はない帰り道
- 8)真白い夢
- 9)見て!私をみつめて
- 10)フィナーレ
- 先生が泣いた日~子供のためのミュージカル~(2002年)
- 声のオートノミー(1964年)
- 混声合唱のためのオートノミー(1972年)
- 混声合唱のための幻(1975年、芸術祭優秀賞受賞、chor,picc,E.Bass,dr,締め太鼓,平太鼓,チャンチキ,PA)
- 児童合唱のための"ゆきがふる"(1977年、まどみちお作詞)
- 児童合唱のための"うれしいときは"(1981年、水野修孝作詞)
- 児童合唱のための"かなしいときは"(1981年、水野修孝作詞)
- 児童合唱のための"あいさつの歌"(1981年、水野修孝作詞)
- 小さなホメロスたち・・女声(少年少女)のための合唱組曲(1982年)
- (1)はじまりの歌
- (2)風よ
- (3)雨の日にも
- (4)生命さざめく
- (5)愛のまぶしさについて
- (6)小さなホメロスたち
- 秋かな冬かな(1983年)
- 手をつなごう(1983年、水野修孝作詞)
- 男声合唱のための"カオス"(1984年)
- 合唱組曲"あしたのオデッセウスたち"(1988年)
- (1)それは誰?
- (2)トポス
- (3)ルナ
- (4)それはいつ?
- 合唱組曲"いつでもそこにスフィンクスがいた"(1993年)
- (1)虹の神イリス
- (2)陽炎(かげろう)
- (3)断崖
- (4)あこがれ
- (5)尖塔
- ひまわり(1993年・未初演)
- 父の仕事(1993年・未初演)
- おやすみなさいおつきさま(1982年/1993年改訂)
- 青春の思い(1999年)
- (1)青春の思い
- (2)黒い下敷き
- (3)さよならが言えない
- ルナの祈りと愛の復活(2000年)
- アイウエオの歌(2003年、水野修孝作詞)
- うれしいときは(2003年、水野修孝作詞)
- かなしいときは(2003年、水野修孝作詞)
- 月曜日に火曜日(2003年、水野修孝作詞)
- 瞑想的音楽劇、または儀式"少女"~松永永三郎"廃人"による~(1963年)
- 幼児の歌集(1977年)
- (1)あいさつのうた(水野修孝作詞)
- (2)どうぶつえらび(水野修孝作詞)
- (3)これ何だろうね(水野修孝作詞)
- (4)これは何だろうね(水野修孝作詞)
- (5)〇〇○は何で鳴く(水野修孝作詞)
- (6)小鳥が一匹(水野修孝作詞)
- (7)カラスカンガラス
- (8)みなさんそろそろ(水野修孝作詞)
- (9)ウッカラ節(水野修孝作詞)
- (10)ゴチゴチ山のゴチコンタ(水野修孝作詞)
- (11)モーシモーシうさぎさん(水野修孝作詞)
- (12)もしもしライオンさん(水野修孝作詞)
- (13)月曜日に火曜日(水野修孝作詞)
- (14)手をつなご(水野修孝作詞)
- (15)ブランコ
- (16)おやすみなさいおつきさま
- (17)カミナリと雨(水野修孝作詞)
- (18)ほくろのうた(水野修孝作詞)
- (19)ワタシサカナヤさん(水野修孝作詞)
- (20)秋かな冬かな(水野修孝作詞)
- (21)アイウエオのうた(水野修孝作詞)
- (22)クシャミのうた(水野修孝作詞)
- (23)サカナみたいにスイスイと(水野修孝作詞)
- (24)ふぐちょうちん(水野修孝作詞)
- (25)かなしいときは(水野修孝作詞)
- (26)うれしいときは(水野修孝作詞)
- (27)山のむこうに(水野修孝作詞)
- (28)ボクの自動車ギャラクシー(水野修孝作詞)
- (29)ヤーレホレエンヤサッサ(水野修孝作詞)
- (30)1回目の2回目(水野修孝作詞)
- ゆきがふる(1977年、まどみちお作詞)
- よるのうた(1979年、まどみちお作詞)
- おやすみなさいおつきさま(1981年)
- 悲しいときは(1982年、水野修孝作詞)
- うれしいときは(1982年、水野修孝作詞)
- パパのおさけ(1985年)
- 追憶(1996年、水野修孝作詞・未初演)
- はるかな遠い道(1996年、水野修孝作詞・未初演)
- 愛の歌(1996年、水野修孝作詞)
- 初めてのデート(1997年、水野修孝作詞)
- 今こそ(1997年、水野修孝作詞)
- ルナの祈り(1999年)
- 愛の復活(1999年)
- 草笛の丘音頭(2001年、vo,dr,E.bess,key,日本太鼓.)
- 今こそ君にすべてをかけて(2001年、水野修孝作詞・未初演)
- Jazzy work"They say is's wonderful"~オケと合唱のためのジャス音楽(1967年)
- ジャスオーケストラのためのオリジナル(1968年)
- ジャスの仮象(1969年)
- ジャスオーケストラのためのオリジナル No,2(1970年・未初演)
- 金井のための4月の歌(1971年)
- ジャズ・オーケストラ'73(1973年、ジャスディスク大賞3位受賞)
- ジャズ・オーケストラ'75(1975年、ジャスディスク大賞3位受賞)
- ダム(1975年)
- パロディーA.B.C(1976年)
- オールトゥギャザー(1976年)
- コンボ'77(1977年)
- 日曜日の仕事(2015年)
- コンクレートのための交響曲(1960年)
- テープ音楽(1961年・未発表)
- 魚紋(1962年)
- 遠隔操作『不可逆』(1962年)
- 電子音楽『怒りの日』(1972年)
- メディテーション(1974年・未発表)
- ストレッタ(1974年・未発表)
- チエホフの喜劇のための音楽(1961年)
- ギリシャ悲劇"エレクトラ"の音楽(1964年)
- 長崎の夏(1968年、TBS日本列島の旅"長崎")
- 瓶詰めの地獄(1971年、NHKラジオドラマ)
- "夏"の音楽(1972年、NHK第1放送文芸ドラマ)
- 白い国籍のスパイ(1977年、NHK第1放送連続ラジオドラマ)
- 大造じいさんと雁(1978年、TBSまんがこども文庫)
- "空気入れ"の音楽(1978年、TBSまんがこども文庫)
- 酒屋のワン公(1979年、TBSまんがこども文庫)
- "メデイア"の音楽(1983年、日生劇場)
- "ロメオとジュリエット"の音楽(1986年、サンシャイン劇場)
- "地獄のオルフェ"の音楽(1987年、セゾン劇場)
- "写楽考"の音楽(1989年、劇団青年座)
- ぶんぶく茶釜(1991年、コロムビア)
- "黄昏"の音楽(1995年、劇団青年座)
- 菓婚式(1962年、pf)
- 魚紋(1962年)
- 遠隔操作『不可逆』(1962年)
- 明けぬ夜の死者のしるべに(1962年、chamberOrch)
- 新しい人間像(1967年)
- 千葉若潮国体、幼児集団演技のための音楽(1972年)
- 田原縫製工場親善会歌、社歌(1963年)
- 千葉県立泉高等学校校歌(1979年)
- 千葉県八千代市立八千代台東第二小学校校歌(1980年)
- 千葉県八千代市立大和田西小学校校歌(1984年)
- 千葉県佐倉市立臼井南中学校校歌(1996年)
- 千葉県立瑞穂小学校校歌(1998年)
- 千葉県安房市立安房東中学校校歌(2004年)
- オーケストラのためのムード音楽(1961年)
- (1)シャルメーン
- (2)枯葉
- (3)ラ・メール
- (4)愛の賛歌
- (5)街角
- 忘れなぐさ(1963年/2012年、混声5部合唱+オーケストラ)
- 夢(1966年、オーケストラ)
- ワシントン広場の夜はふけて(1967年、オーケストラ)
- グッドバイ(1967年、オーケストラ)
- They say it's wonderful(1967年、オーケストラ)
- 情熱(1987年、筒美恭平作品、ボーカルと合唱とオーケストラ・未初演)
- 千葉童謡組曲(1990年、800人のオーケストラ+1200人の吹奏楽+400人の合唱)
- スタンダードナンバー・メドレー集(2001年、pf)
- (1)序奏
- (2)シェルブールの雨傘
- (3)フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
- (4)白い恋人たち
- (5)ひき潮
- When I failing love. My one and only love.(2015年、pf)
- I left my heart in Sanfransisco. Misty Framingo(2015年、pf)
- 千葉県八千代市立大和田南小学校校歌(2020年、小泉純一作曲、児童合唱,pf)
- 花(2020年、瀧廉太郎作曲、Vib・會田瑞樹の委嘱)
※オーケストラ・ピアノあるいはベースとドラム入りの多様な編成。
- 瑠璃色の世界
- 酒とバラの日々
- 青春のかげ
- 忘れなぐさ
- 情熱
- グッドバイ
- ワシントン広場の夜はふけて
- 証城寺のたぬきばやし
- スバル
- 里の秋
- 海
- 夢の中へ
- 青い地球は誰のもの
- 夢
- They say it'swonderful (渡辺貞夫ジャズ教室卒業作品)
- When I falling love
- It could happen to you
- Flamingo
- Wave
- Garota de Ipanema
- All of me: Someday my prince will come
- Shadow of your smile
- Lullaby of Bird-Land
- L've got the world on a string
- Body and Soul
- L left my heart in San Francisco
- Spring is here
- My foolish heart
- Three coins in the fountain
- As time goes by
- These foolish things
- My one and only love
- What's new
- Memories of you
- I have only eyes for you
- Shiny staking
※その他およそ60曲以上の完成、あるいは未完成の未発表作品がある。
脚注
[編集]- ^ 水野修孝公式HP
- ^ 水野修孝公式HPプロフィール
- ^ 毎日新聞千葉支局・編『ちば人国記Ⅱ』p.87 毎日新聞社 ISBN 4620306665
- ^ 世界大百科事典内言及. “グループ音楽とは”. コトバンク. 2022年2月20日閲覧。
- ^ 交響的変容初演プログラムにて寄稿〈水野修孝とは何か〉より
- ^ 水野修孝・交響的変容全4部特集
- ^ 水野修孝全作品目録第4版
- ^ [ http://mizunoshuko.com/mizuno2/PAGE/koukyoutekihenyou/HENYOU-fl.html 水野修孝:交響的変容 全4部特集]
- ^ [ http://mizunoshuko.com/mizuno2/PAGE/koukyoutekihenyou/HENYOU-fl.html 交響的変容 編成表 ]