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永井尚房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
永井尚房
時代 江戸時代前期
生誕 寛永14年(1637年
死没 寛文5年7月19日1665年8月29日
戒名 永明院殿透霊徹参大居士
墓所 京都府宇治市興聖寺 (宇治市)
官位 従五位下越中守
山城淀藩世嗣
氏族 永井氏
父母 永井尚征毛利秀元娘・長菊子
兄弟 尚房尚長直種直円永井直時正室、長姫、有馬則故正室、有馬則故継室、
中村光慶室、高力忠弘正室
立花忠茂五女
稲葉正辰正室
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永井 尚房(ながい なおふさ)は、江戸時代前期の山城国淀藩の世嗣。官位従五位下越中守

略歴

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2代藩主・永井尚征(のち丹後国宮津藩主)の長男として誕生。母は毛利秀元の娘・長菊子。正室は立花忠茂の五女。

淀藩主の嫡子として生まれ、承応元年(1652年徳川家綱に拝謁する。翌承応3年(1653年)に叙任するが、家督相続前の寛文5年(1665年)に29歳で早世した。吉原で遊郭遊びの最中に横死したとも伝わる。

永井尚房の墓(宇治市興聖寺)

代わって、弟の尚長が嫡子となった。