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永井尚征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
永井尚征
永井尚征(興聖寺蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 慶長19年(1614年
死没 延宝元年11月11日1673年12月18日
別名 大膳(通称
戒名 雲山宗関竜谷院
墓所

東京都中野区上高田の功運寺

京都府宇治市興聖寺 (宇治市)
官位 従五位下右近大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
山城淀藩主、丹後宮津藩
氏族 永井氏
父母 永井尚政内藤清成
兄弟 尚征尚保尚庸直右尚春尚申
尚盛、長子、高力隆長正室、
松平憲良正室、松平定政正室、
森長俊正室、米津田盛正室、上林重胤室、小浜広隆正室ら
毛利秀元
尚房尚長直種直円永井直時正室、長姫、有馬則故正室、有馬則故継室、
中村光慶室、高力忠弘正室ら
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永井 尚征(ながい なおゆき)は、山城国淀藩2代藩主、後に丹後国宮津藩初代藩主。永井家宗家3代。

生涯

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慶長19年(1614年)、淀藩の初代藩主・永井尚政の長男として生まれる[1]明暦4年(1658年)2月に父が隠居したため、家督を継いだ[1]寛文9年(1669年)2月24日、丹後宮津藩に移封される[2]

延宝元年(1673年)11月11日に江戸で死去[1]。享年60。跡を二男の尚長が継いだ[2]

系譜

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父母

正室

子女

  • 永井尚房(長男) - 尚房のみ生母は正室。早世。
  • 永井尚長(三男) - 相続。のち殺害され改易。
  • 永井直種(四男) - 摂津国高槻藩主永井直時の養嗣子
  • 永井直圓(六男) - 尚長改易後、直圓が大名として取り立てられ永井家再興。
  • 永井直時正室 - のち直時は正室の兄弟の直種を養嗣子とした。
  • 長姫 - 依正院、三河国西尾藩主増山正弥正室
  • 旗本有馬則故正室
  • 旗本有馬則故継室
  • 中村光慶
  • 高力忠弘正室 - 肥前国島原藩継嗣。改易された父親に連座して蟄居処分されるが、のち赦され大身旗本。そののち口論から殺害された。

脚注

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  1. ^ a b c 永井尚征 【ながい-なおゆき】”. コトバンク. 2013年10月20日閲覧。
  2. ^ a b 浜垣 1991, p. 255

参考文献

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  • 浜垣容二「増上寺で殺された文人大名」『大名廃絶読本』、読本シリーズ第3号、新人物往来社、254-257頁、1991年。