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稲葉正守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲葉 正守
時代 江戸時代後期
生誕 享和4年1月29日1804年3月10日[1]
死没 明治11年(1878年)7月29日[要出典]
改名 鉄弥(幼名)→正守
別名 大学
官位 従五位下従四位下丹後守佐渡守内匠頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
山城淀藩
氏族 稲葉氏
父母 父:稲葉正諶、養父:稲葉正発
兄弟 正備正選正守広幡前秀室、内藤頼以正室、大岡忠固正室
藤堂高兌の娘
戸田氏彬正室、養子:正誼
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稲葉 正守(いなば まさもり)は、山城淀藩の第10代藩主。正成系稲葉家宗家14代。官位は従五位下、従四位下、丹後守、佐渡守、内匠頭。幼名は鉄弥。通称は大学。

経歴

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第7代藩主・稲葉正諶の七男として誕生した。文政6年(1823年)6月25日、甥で先代藩主の正発が嗣子無くして死去したため、跡を継いだ。同年9月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政7年12月16日(1825年)、従五位下・丹後守に叙任する。後に内匠頭、佐渡守に改める。天保4年(1833年)2月18日、奏者番に就任する。天保9年(1838年)6月1日、寺社奉行に就任する。天保11年12月16日(1841年)、従四位下に昇進する。天保13年(1842年)4月24日、寺社奉行を退任する。同年7月20日に隠居し、養子の正誼に家督を譲った。明治2年(1869年)2月、東京から淀に居所を移す。明治11年7月29日、病死する。[要出典]

系譜

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父母

正室

子女

養子

脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus