永川光浩
香川への派遣時(2013年6月5日) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県三次市 |
生年月日 | 1987年11月2日(37歳) |
身長 体重 |
188 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 育成選手ドラフト1位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴 | |
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この表について
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永川 光浩 (ながかわ みつひろ、1987年11月2日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。実兄は元プロ野球選手で広島東洋カープでの同僚でもあった永川勝浩。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学校3年時から野球を始める。ポジションは兄と同じ投手。広島県立三次高等学校ではエース投手だったが、肘の故障によって3年生夏は控えとなり抑え投手として登板。県大会の決勝戦で敗れ、甲子園には出場できなかった。龍谷大学進学後は2年生の秋からベンチ入りしたが肘の故障が多発し、リーグ戦初登板は4年生の春だった。
2009年ドラフト会議において広島東洋カープから育成1巡目で指名され、入団。
プロ入り後
[編集]2012年3月27日、同シーズンは徳島インディゴソックス(四国アイランドリーグplus)に派遣されることが発表[1]された。2012年10月3日、来季の契約を結ばないことを伝えたと球団公式HPにて発表されたが[2]、11月12日に育成選手として再契約した[3]。
2013年3月22日、前年に続いて四国アイランドリーグplusに派遣されることが発表された。当年度は香川オリーブガイナーズに所属した[4]。同年10月31日、自由契約公示された[5]。11月8日に育成選手として再契約した。
2014年10月2日、戦力外通告を受け[6]、5年間の在籍で支配下登録を果たせないまま現役を引退した[7]。同月31日、自由契約公示された[8]。引退後は広島県の物流会社に就職することが決まった[7]。
選手としての特徴
[編集]長身から投げ下ろす最速142km/hの直球と、スライダー・カーブ・フォークボールなど多彩な変化球が持ち味の軟投派。本人も「キレで勝負」と語るように、パワー投手型の勝浩とはタイプが大きく異なる[要出典]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
独立リーグでの投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
完 封 |
勝 数 |
敗 数 |
セ | ブ |
勝 率 |
投 球 回 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
自 責 点 |
防 御 率 |
三 振 率 |
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2012 | 徳島 | 21 | 0 | 1 | 4 | 0 | .200 | 45 | 29 | 3 | 30 | 25 | 5.00 | 4.05 |
2013 | 香川 | 27 | 0 | 3 | 1 | 0 | .750 | 37.1 | 31 | 5 | 30 | 16 | 3.86 | 7.23 |
通算:2年 | 48 | 0 | 4 | 5 | 0 | .444 | 82.1 | 60 | 8 | 60 | 41 | 4.48 | 6.56 |
背番号
[編集]- 120 (2010年 - 2014年)
- 28 (2012年) ※徳島インディゴソックスでの背番号
- 17 (2013年) ※香川オリーブガイナーズでの背番号
脚注
[編集]- ^ 徳島IS 広島東洋カープより育成選手派遣のお知らせ 四国アイランドリーグplusニュースリリース 2012年3月27日
- ^ 広島東洋カープ公式サイト ニュース 2012年10月3日
- ^ 【広島】永川光、中村亘と育成再契約 nikkansports.com 2012年11月12日
- ^ 広島東洋カープより育成選手派遣のお知らせ 四国アイランドリーグplusニュースリリース 2013年3月22日
- ^ 2013年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年11月1日閲覧。
- ^ 来季の選手契約について - 広島東洋カープ公式ウェブサイト(2014年10月2日)
- ^ a b “広島永川光5年の重圧…大きな兄の存在”. 日刊スポーツ. (2015年1月5日) 2015年1月5日閲覧。
- ^ 2014年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)