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江部順治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江部順治
えべ じゅんじ
生年月日 1883年1月3日
出生地 日本の旗 日本 秋田県南秋田郡
没年月日 (1976-02-16) 1976年2月16日(93歳没)
出身校 東京高等工業学校応用化学科卒業
(現東京工業大学)
現職 栃木県酒造組合会長
日本酒造組合中央会理事
全国酒類卸協同組合理事長
一徳酒造社長
所属政党 (日本進歩党→)
民主党

選挙区 栃木県全県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1946年4月 - 1947年3月31日

在任期間 1944年 - 1945年

小山町会議員
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江部 順治(えべ じゅんじ、1883年明治16年)1月3日[1] - 1976年昭和51年)2月16日[2])は、大正から昭和期の政治家衆議院議員栃木県下都賀郡小山町長。旧姓・高堂。

経歴

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秋田県南秋田郡、のちの秋田市[3][注釈 1]で高堂兵右衛門の五男として生まれ[3][4]、江部惣四郎の養子となる[3][4]。1906年(明治39年)東京高等工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業した[2][3][4]

一時大蔵省に入省したが退職し[3]、下野酒造(のち一徳酒造)専務、栃木県酒類販売社長、下野醤油社長、同県商工経済会小山出張所長、小山商工会長、那須商業銀行監査役などを務めた[2][3][4]

政界では、小山町会議員、所得税調査委員、栃木県都賀地方事務所参与などを務め[2]、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)まで小山町長に在任した[3]。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙(栃木県全県区、日本進歩党公認)で当選し[3][5]、衆議院議員に1期在任した[2]。その後、公職追放となる[6]

追放解除後、1953年(昭和28年)から1968年(昭和43年)まで栃木県酒造組合会長に在任し[3]、その他、日本酒造組合中央会理事、全国酒類卸協同組合理事長、一徳酒造社長などを務めた[2][3]

脚註

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』101頁では栃木県出身。

出典

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  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、12頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』101頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『栃木県歴史人物事典』107頁。
  4. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』栃木5頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』373頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿43頁。公職追放の該当事項は「翼賛小山町」。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。