池内新蔵
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池内 新蔵[1](いけうち しんぞう[2]、1895年(明治28年)6月6日[2] - 没年不明)は、日本の実業家、鳥取県多額納税者[1][3]、地主[1]。池内綿糸店社長[2][4][注 1]。
経歴
[編集]鳥取県鳥取市出身[2]。池内新蔵の長男[2][4][6]。1913年、旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業する[2]。家業の綿糸商を継承する[2]。池内綿糸店、とりせんビル、丸興綿業各社長、鳥取大丸、鳥取瓦斯、日ノ丸証券、日ノ丸金属、日本海テレビ各取締役をつとめる[2][4]。
人物
[編集]池内新蔵について、『商工資産信用録 第43回』には「職業・棉花綿糸、調査年月・1942年7月、正身身代・M、年扱高又は年収・M、信用程度・Cc」とある[7]。
鳥取市の豪商である[1]。趣味は刀剣[1]、読書[4][6]。新古の名刀を多数愛蔵する[1]。宗教は真宗[2][4][6]。住所は鳥取市元大工町[1][2][4]。
家族・親族
[編集]- 池内家
池内家は、藩政時代に主として酒造業により繁栄し、「高砂屋十家」と称された高砂屋一族のうちの一家である[8]。「高砂屋十家」はいずれも高砂の郷士・池内氏を祖とし、本町四丁目にあった沢氏(初代高砂屋惣兵衛)と川端二丁目にあった小川氏(初代高砂屋六兵衛)を高砂屋両本家としていた[8]。池内家文書を所蔵する池内勝信は、高砂屋六兵衛(小川氏)の甥吉右衛門から始まった高砂屋の家筋(苗字・飛田)の後裔である[8]。
- 父・新蔵[2](1869年 - ?、綿糸商) - 鳥取市材木町・池内久三郎の二男[9]。幼い頃に両親に別れる[9]。1889年、姫路歩兵第十連隊に入営[9]。1892年、帰郷し鳥取市元大工町に独立、綿糸商を経営する[9]。その経営する製綿工場は20余名の職工を使用する[9]。鳥取市商工会常議員である[9]。県より民力涵養実行委員を嘱託される[9]。
- 母・ヒデ(樺藤六の三女)[6]
- 妻・政子(1902年 - ?、浜田金治の妹)[2][4]
- 長男・勝信(1933年 - ?、呉服寝具商)[2]
- 二男[4]
- 長女[4]
- 二女[4]
- 三女[4]
- 四女[4]
- 親戚
- 樺正董(数学教育家、数学者)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『鳥取県名士百伝』192 - 193頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第25版 上』い154頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第18版 上』い61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 上巻』い268頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第16版 上』い46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月18日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県イ之部2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
- ^ a b c 『新修鳥取市史 第3巻(資料篇)』14 - 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『因幡人事興信録』41 - 42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月18日閲覧。