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池内新蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

池内 新蔵[1](いけうち しんぞう[2]1895年明治28年)6月6日[2] - 没年不明)は、日本実業家鳥取県多額納税[1][3]地主[1]。池内綿糸店社長[2][4][注 1]

経歴

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鳥取県鳥取市出身[2]。池内新蔵の長男[2][4][6]1913年、旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業する[2]。家業の綿糸商を継承する[2]。池内綿糸店、とりせんビル、丸興綿業各社長、鳥取大丸鳥取瓦斯、日ノ丸証券、日ノ丸金属、日本海テレビ各取締役をつとめる[2][4]

人物

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池内新蔵について、『商工資産信用録 第43回』には「職業・棉花綿糸、調査年月・1942年7月、正身身代・M、年扱高又は年収・M、信用程度・Cc」とある[7]

鳥取市の豪商である[1]。趣味は刀剣[1]、読書[4][6]。新古の名刀を多数愛蔵する[1]。宗教は真宗[2][4][6]。住所は鳥取市元大工町[1][2][4]

家族・親族

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池内家

池内家は、藩政時代に主として酒造業により繁栄し、「高砂屋十家」と称された高砂屋一族のうちの一家である[8]。「高砂屋十家」はいずれも高砂の郷士・池内氏を祖とし、本町四丁目にあった沢氏(初代高砂屋惣兵衛)と川端二丁目にあった小川氏(初代高砂屋六兵衛)を高砂屋両本家としていた[8]。池内家文書を所蔵する池内勝信は、高砂屋六兵衛(小川氏)の吉右衛門から始まった高砂屋の家筋(苗字・飛田)の後裔である[8]

親戚

脚注

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注釈

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  1. ^ 株式会社池内綿糸店について『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 上巻』によると、創業は寛永年間、設立は1949年昭和24年)3月[5]資本金は400万円[5]。業種は呉服、綿糸、寝具小売[5]。扱商品及割合は寝具40%、綿30%、呉服20%、その他10%[5]。仕入先は綿は澤田棉行、興和紡[5]。呉服、その他は丸紅飯田伊藤萬田村駒常盤[5]。販売先は一般店頭販売60%、小売商40%[5]。役員は取締役社長・池内新蔵、取締役・池内政子、浜本茂夫、監査役・池内勝信[5]。年商は8000万円[5]。従業員数は39名[5]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『鳥取県名士百伝』192 - 193頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第25版 上』い154頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
  3. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第18版 上』い61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j 『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 上巻』い268頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月17日閲覧。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第16版 上』い46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月18日閲覧。
  7. ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県イ之部2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
  8. ^ a b c 『新修鳥取市史 第3巻(資料篇)』14 - 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月19日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g 『因幡人事興信録』41 - 42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月18日閲覧。

参考文献

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  • 荒木義雄編『因幡人事興信録』因幡人事興信録編纂所、1923年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 『鳥取県名士百伝』新鳥取社、1937年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第16版 上』人事興信所、1951年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第18版 上』人事興信所、1955年。
  • 『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 上巻』東京信用交換所、1965年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
  • 『新修鳥取市史 第3巻(資料篇)』鳥取市、1985年。