池尻2号墳
池尻2号墳 | |
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所属 | 平荘湖古墳群(池尻支群) |
所在地 | 兵庫県加古川市平荘町里 |
位置 | 北緯34度47分41.00秒 東経134度51分28.65秒 / 北緯34.7947222度 東経134.8579583度座標: 北緯34度47分41.00秒 東経134度51分28.65秒 / 北緯34.7947222度 東経134.8579583度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 |
竪穴式石室 (竪穴系横口式石室?) (内部に木棺か) |
出土品 | 武器・武具・馬具・農工具・須恵器・埴輪 |
築造時期 | 5世紀前半 |
史跡 | なし |
特記事項 | 墳丘は埋没 |
地図 |
池尻2号墳(いけじりにごうふん)は、兵庫県加古川市平荘町里にあった古墳。平荘湖古墳群(池尻支群)を構成した古墳の1つ。現在では墳丘は埋没している。
概要
[編集]兵庫県南部、地蔵寺山北麓に独立的に築造された古墳である。墳丘は大きく破壊されており、1964年(昭和39年)に発掘調査が実施されたのち、平荘湖の東堤の下に埋没している。
墳形は破壊のため明らかでなく、調査時点では東西11メートル・南北6.45メートル・高さ1.8メートルの長方形の高まりが認められている[1]。墳丘表面では円筒埴輪・家形埴輪が検出されている[1]。埋葬施設は竪穴式石室で、石室主軸を北西-南東方向とするが、竪穴系横口式石室の可能性もある[1]。石室内の調査では、副葬品として武器・武具・馬具・農工具・須恵器などが検出されている。特に、須恵器は双𤭯・耳付高杯などの珍しい資料で、陶質土器と同じ特徴を有することから朝鮮半島の製品と推測され、馬具の轡もf字形鏡板の原形と思われる点で注目される[1]。築造時期は古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される[1]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては竪穴式石室が構築されている。石室主軸を北西-南東方向とし、長さ4.51メートル・幅1.18メートル・高さ0.61メートルを測る[1]。
石室は、長側壁では角礫の5・6段積みで、小口では板状の石を立てた上に角礫の1・2段積みによって構築される。床面には粘土張りの上に小礫を敷き朱の散布が認められるが、壁際約10センチメートルには礫がなく、溝状をなす。天井石は板石4枚[1]。小口の石積みによれば、竪穴系横口式石室の可能性が指摘される[1]。
石室内には各所に釘が認められることから、頭位を北東方向とした長さ2.55メートル・幅0.7メートルの木棺の存在が推測される。また壁沿いに鉄鏃・甲冑・馬具・農工具・須恵器、礫敷き北東寄りに剣・鉾を置くほか、双𤭯を特別扱いして板石の上に据える[1]。
出土品
[編集]1964年の石室内の調査で検出された副葬品は次の通り[1]。
- 武器
- 鉄剣 3 - 長剣、柄縁は鹿角装。
- 鉄鉾 3
- 鉄鏃 45以上 - 平根式4、尖根式多数。
- 武具
- 横矧板鋲留衝角付冑
- 肩甲 - 所在不明。
- 頸甲 - 所在不明。
- 馬具
- 木芯鉄張鐙
- 轡
- 尾錠
- 辻金具
- 飾金具
- 鉄環
- 農工具
- U字形鋤先
- 鉄斧
- 角錐
- 円錐
- 須恵器 - 𤭯3、高坏2。
- その他 - 釘・鎹。
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鉄剣・鉄釘・鎹・鉄鏃・錐
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馬具
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鉄鉾・鉄斧・鋤先
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須恵器 𤭯
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須恵器 高坏
関連施設
[編集]- 加古川総合文化センター博物館(加古川市平岡町新在家) - 池尻2号墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 地方自治体発行
- 「平荘湖古墳群」『兵庫県史 考古資料編』兵庫県、1992年。
- 「池尻2号墳」『加古川市史 第4巻 史料編I』加古川市、1996年。
- 事典類