河鍋暁雲
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河鍋 暁雲(かわなべ きょううん、万延元年(1860年[1]) - 明治41年(1908年)8月4日[2])とは、明治時代の浮世絵師。
来歴
[編集]河鍋暁斎の門人で、次男。姓は河鍋、名は周三郎。母は暁斎の二番目の妻で、榊原鍵吉の娘とせ。江戸に生まれる。作画期は明治中期から後期で、父暁斎の画風を継承し肉筆浮世絵を描いたが、現存作品は極めて少ない。明治18年(1885年)以降、本郷大根畠の父の旧居に住んだ。享年49。翌19年(1886年)から3年ほど、絵の修行のため千葉や愛知、秋田など13県を遊学したという。明治23年(1890年)の第三回内国勧業博覧会では「雷神」を出品し、一等褒状を得ている。法名は麗光院暁雲日容信士。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 款記・印章 | 備考 |
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白衣観音図 | 絹本着色 | 1幅 | 114.4x53.4 | 河鍋暁斎記念美術館 | 制作年不詳 | ||
太田道灌山吹の里 | 絹本着色 | 双幅 | 113.8x40.3(各) | 河鍋暁斎記念美術館 | 制作年不詳 | 暁斎の同名作品に倣った作 | |
雷の家族 | 絹本着色 | 1幅 | 103.1x40.8 | 河鍋暁斎記念美術館 | 制作年不詳 | ||
蜻蛉の図 | 絹本着色 | 1幅 | 111.2x42.2 | 河鍋暁斎記念美術館 | 制作年不詳 | ||
百布袋図 | 絹本着色 | 1幅 | 216.0x141.7 | 三の丸尚蔵館 | 1894年(明治27年) | 明治天皇の御下命で描かれた作品。暁斎が描いた百福図を見た明治天皇が同じ物を欲したが、暁斎は既に亡く、他の画家に描かせたものの御意に叶わなかったため、息子暁雲に描かせたという[3]。 | |
勿来関図 | 板絵著色 | 絵馬1面 | 烏帽子山八幡宮(山形県南陽市)[4] | ||||
能狂言 | 2曲屏風 | ||||||
能狂言鶴亀之絵 | 絹本着色 |