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泉田町 (刈谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 愛知県 > 刈谷市 > 泉田町
泉田町
泉田町の位置(愛知県内)
泉田町
泉田町
泉田町の位置
北緯35度1分20.76秒 東経137度0分25.81秒 / 北緯35.0224333度 東経137.0071694度 / 35.0224333; 137.0071694
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 刈谷市
地区 北部地区
面積
 • 合計 2.235583062 km2
人口
2019年令和元年)6月1日現在)[2]
 • 合計 5,611人
 • 密度 2,500人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
448-0004[3]
市外局番 0566(刈谷MA[4]
ナンバープレート 三河

泉田町(いずみだちょう)は、愛知県刈谷市町名。丁番を持たない単独町名であり、29の小字が設置されている。郵便番号は448-0004[3](集配局:刈谷郵便局[5])。

地理

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境川逢妻川に挟まれた洪積台地上に位置する[6]

歴史

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縄文時代から室町時代にかけての複合遺跡である泉田古墳群、平安時代鎌倉時代にかけての泉田古窯群が発見されている[6]

戦国時代の武将である矢田作十郎は泉田を拠点としたと伝えられ、永禄6年(1563年)には三河一向一揆で一揆方に与した[6]。この時代の名残で、絵下城(えげじろ)、上の門、下市場、市場屋敷などの地名が残っている[6]。中世には和泉田村という表記もみられる。

江戸時代には刈谷藩領であり、池鯉鮒宿助郷村でもあった[6]。近世当初には泉田村の出郷として今川村があったが、享保16年(1731年)には泉田村から今川村が分村した[6]東海道一里塚があった一里山も泉田村の出郷だった[6]。天保3年(1833年)の戸数は318、人口は1,264[6]

泉田村は洪積台地上にあるため水利が悪く、水田の開発が進んだのは大正時代金山揚水が完成してからである[6]。1878年(明治11年)には泉田村・今川村・今岡村が合併して逢見村が発足した。1889年(明治22年)には町村制の施行により改めて逢見村が発足し、1906年(明治39年)には逢見村・一ツ木村・境村・東境村が合併して富士松村が発足した。1955年(昭和30年)には富士松村が刈谷市に編入合併され、泉田は刈谷市大字逢見の一部となった。1970年(昭和45年)には大字逢見が泉田町・今川町・今岡町などに分かれ、泉田という地名が復活した。

行政区の変遷

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泉田村
廃止日 1878年
廃止理由 泉田村 → 逢見村
現在の自治体 刈谷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
碧海郡
泉田村役場
所在地 愛知県碧海郡泉田村
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
明治1年-明治21年 明治22年
町村制
明治24年-明治39年 明治39年-昭和30年 昭和30年-現在
碧海郡 泉田村 明治11年合併
逢見村
逢見村 逢見村 明治39年合併
富士松村
昭和30年合併
刈谷市
今岡村
今川村
一ツ木村 一ツ木村 一ツ木村 一ツ木村
築地村 築地村
井ヶ谷村 井ヶ谷村 境村 境村
西境村 西境村
東境村 東境村 明治24年分村
東境村

世帯数と人口

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2019年(令和元年)6月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
泉田町 2,329世帯 5,611人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移

1995年(平成7年) 4,027人 [7]
2000年(平成12年) 4,367人 [8]
2005年(平成17年) 4,691人 [9]
2010年(平成22年) 5,189人 [10]
2015年(平成27年) 5,675人 [11]

施設

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角文
  • 泉田市民館
  • 刈谷泉田簡易郵便局
  • 角文株式会社 - 総合建設会社。

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12][13]

番・番地等 小学校 中学校
全域 刈谷市立富士松南小学校 刈谷市立雁が音中学校

名所・旧跡

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八王子神社

脚注

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  1. ^ 愛知県刈谷市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年6月10日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別人口”. 刈谷市 (2019年6月3日). 2019年6月10日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月10日閲覧。
  5. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』
  7. ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  8. ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  9. ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  10. ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  11. ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  12. ^ 小学校学区の一覧”. 刈谷市 (2012年12月21日). 2019年6月10日閲覧。
  13. ^ 中学校学区の一覧”. 刈谷市 (2012年12月21日). 2019年6月10日閲覧。
  14. ^ 順慶寺について 順慶寺

参考文献

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  • 刈谷市史編纂委員会『刈谷市史』刈谷市
  • 『日本歴史地名大系 愛知県の地名』平凡社、1988年
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5 

関連項目

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外部リンク

[編集]
  • ウィキメディア・コモンズには、泉田町 (刈谷市)に関するカテゴリがあります。