法住寺 (報恩郡)
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法住寺(俗離寺⇒法住寺) | |
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所在地 | 忠清北道報恩郡俗離山面舎乃里209 |
位置 | 北緯36度30分 東経127度48分 / 北緯36.500度 東経127.800度座標: 北緯36度30分 東経127度48分 / 北緯36.500度 東経127.800度 |
山号 | 俗離山 |
宗派 | 曹渓宗(法相宗⇒曹渓宗⇒教宗⇒曹渓宗) |
寺格 |
曹渓宗の第5教区本寺 朝鮮三十一本山(日本統治時代) |
創建年 | 553年(新羅真興王14年) |
開基 | 義信祖師 |
文化財 |
双獅子石燈(国宝第5号) 捌相殿(国宝第55号) 石蓮池(国宝第64号) |
法住寺(ほうじゅうじ、ポプチュサ)は、忠清北道報恩郡にある仏教寺院である。韓国仏教の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第5教区本寺である。1624年に建立された捌相殿は韓国唯一の木塔[1]で国宝(国宝第55号)に指定されている[2][3]。
歴史
[編集]寺の創建は 553年(新羅真興王14年)とされている。天竺に渡った義信祖師が、553年に白い駱駝に経典を積んで帰国し、俗離山に仏法の道場を開いたという伝説があり、この曖昧な伝説が553年創建の根拠になっている。
李氏朝鮮太宗の時代の1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、88の寺院だけが廃寺を免れたが、存続を許された曹渓宗の24寺のリスト中に軍威法住寺という寺があり、これが現在の法住寺だと推定されている。世宗の時代の1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、36の寺院だけが廃寺を免れたが、存続を許された教宗の12の寺のリスト中に忠淸道報恩俗離寺という寺があり、これも法住寺と推定されている。
仏教は成宗・燕山君・中宗の時代も壊滅的打撃を受けた。同寺はその後復興するも文禄・慶長の役の際に建物は焼失した。1624年(仁祖2年)、碧岩大師によって寺は再建された。
日本統治時代の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。
文化財
[編集]- 捌相殿(国宝第55号)
- 双獅子石燈(国宝第5号)
- 石蓮池(国宝第64号)
- 新羅の聖徳王の時代の720年(聖徳王9年)に建立されたと推測される。極楽世界をあらわしており、花崗岩が使われている。高さは1.95メートル。
ほか
[編集]- 青銅弥勒大仏
脚注
[編集]- ^ 法住寺(大韓仏教曹渓宗 ホームページ)
- ^ 2010年に忠清南道扶余郡で開催された『世界大百済展』用にロッテが建設したテーマパーク『百済文化団地』の百済木塔を数に加えると2つになる。
- ^ 扶餘に11階建て「百済木塔」を再現 中央日報2006年12月07日