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法住寺 (報恩郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法住寺(俗離寺⇒法住寺)


朝鮮半島唯一の木造の五重塔である捌相殿は1624年に建立された

地図
所在地 忠清北道報恩郡俗離山面舎乃里209
位置 北緯36度30分 東経127度48分 / 北緯36.500度 東経127.800度 / 36.500; 127.800座標: 北緯36度30分 東経127度48分 / 北緯36.500度 東経127.800度 / 36.500; 127.800
山号 俗離山
宗派 曹渓宗法相宗⇒曹渓宗⇒教宗⇒曹渓宗)
寺格 曹渓宗の第5教区本寺
朝鮮三十一本山日本統治時代
創建年 553年新羅真興王14年)
開基 義信祖師
文化財 双獅子石燈(国宝第5号)
捌相殿(国宝第55号)
石蓮池(国宝第64号)
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法住寺(ほうじゅうじ、ポプチュサ)は、忠清北道報恩郡にある仏教寺院である。韓国仏教の最大勢力である曹渓宗大韓仏教曹渓宗)の第5教区本寺である。1624年に建立された捌相殿は韓国唯一の木塔[1]国宝(国宝第55号)に指定されている[2][3]

歴史

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寺の創建は 553年新羅真興王14年)とされている。天竺に渡った義信祖師が、553年に白い駱駝に経典を積んで帰国し、俗離山仏法の道場を開いたという伝説があり、この曖昧な伝説が553年創建の根拠になっている。

李氏朝鮮太宗の時代の1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、88の寺院だけが廃寺を免れたが、存続を許された曹渓宗の24寺のリスト中に軍威法住寺という寺があり、これが現在の法住寺だと推定されている。世宗の時代の1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、36の寺院だけが廃寺を免れたが、存続を許された教宗の12の寺のリスト中に忠淸道報恩俗離寺という寺があり、これも法住寺と推定されている。

仏教は成宗燕山君中宗の時代も壊滅的打撃を受けた。同寺はその後復興するも文禄・慶長の役の際に建物は焼失した。1624年仁祖2年)、碧岩大師によって寺は再建された。

日本統治時代1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。   

文化財

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双獅子石燈(国宝第5号)
石蓮池(国宝第64号)
  • 捌相殿(国宝第55号)
    韓国唯一の木塔。文禄・慶長の役(壬辰倭乱)の際に焼失したが、1624年仁祖2年)に碧岩大師によって再建された。
  • 双獅子石燈(国宝第5号)
    新羅聖徳王の時代の720年(聖徳王9年)に建立されたと推測される。高さは3.3メートル。
  • 石蓮池(国宝第64号)
    新羅の聖徳王の時代の720年(聖徳王9年)に建立されたと推測される。極楽世界をあらわしており、花崗岩が使われている。高さは1.95メートル。

ほか

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青銅弥勒大仏(台座込みで33メートル
  • 青銅弥勒大仏
    もともと青銅の弥勒仏が設置されていたが、景福宮造営を行った1872年興宣大院君によって徴発された。1964年にコンクリート製の弥勒仏が建立されたが、1990年に現在の青銅仏像が建立された。台座込みの高さは33メートル。

脚注

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  1. ^ 法住寺(大韓仏教曹渓宗 ホームページ)
  2. ^ 2010年に忠清南道扶余郡で開催された『世界大百済展』用にロッテが建設したテーマパーク『百済文化団地』の百済木塔を数に加えると2つになる。
  3. ^ 扶餘に11階建て「百済木塔」を再現 中央日報2006年12月07日