熊懐氏
熊懐氏 | |
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本姓 | 波多宿禰 |
家祖 | 熊懐平右馬太夫波多宿祢行景 |
種別 | 社家 |
出身地 | 大和国高市郡波多郷 |
主な根拠地 | 筑後国生葉郡山春村 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
熊懐氏(くまだきし)は、筑後国生葉郡山春村(現在の福岡県うきは市浮羽町)を本拠とした一族。波多氏 (古代)族。
熊懐の本家は、福岡県うきは市の賀茂神社社家を代々継いでいる。
概略
[編集]賀茂神社社家の初代は、武内宿禰(孝元天皇の曾孫)19世新羅征討副将軍小徳波多臣広庭[1]の子孫、勘解由次官[注釈 1]波多次郎救家(すけいえ)の嫡男久家和州としている。
久家は波多弾正忠[注釈 2]と称し、母は秋山紀伊守の娘で保延元年(1135年)正月九日誕生。
代々源氏に仕え、大和国高市郡波多郷[注釈 3]に住んでいた。
久家の父・救家は佐馬頭源義朝に仕え波多の領地に住んでいた。義朝亡き後は治承4年(1180年)右大将源頼朝の挙兵に応じ、黄瀬川の陣において富士川の戦いの戦功に対して新番頭(しんばんがしら)[注釈 4]に任ぜられる。寿永3年(1184年)範頼・義経が木曽冠者を討つ軍に加わるが近江国粟津の戦いにおいて流れ矢に当たり戦死する。
救家の嫡子・久家は一法師丸(いちほうしまる 大友能直の幼名)旗頭に属していた。文治5年(1189年)一法師丸に従って奥州征伐の戦功により源頼朝から筑前国上座郡[注釈 5]4村 貞黒川、福井、宝珠山[注釈 6]、筑後生葉郡[注釈 7]7村 山北、隈上、小塩、原口、大石、小江、宮田の地頭に任ぜられた。
建久4年(1193年)になり久家は、大友豊前守能直が守護として豊後に移住[注釈 8]するのに従って、浮羽郡山北に居を構え、鎌倉下衆と称し山北佐源次と号した。
久家は建久7年(1196年)日吉神社を建立。その後は大友家侍大将格で登城した。
波多平馬大輔飛騨守従五位下 母は日田出羽守養女
元弘元年(1331年)8月、後醍醐天皇は山城国笠置山で挙兵した。この時初代・久家から数えて8代目にあたる波多臣平右馬行景(はたのおみひょうまゆきかげ)は、後醍醐天皇の呼び掛けに応じて笠置山に参集した(元弘の乱笠置山の戦い)。
元弘元年8月27日(1331年9月29日)後醍醐天皇は笠置山に入られた。 9月1日、天皇の御座近くに熊が侵さんとしたが誰も止める者がいなかった。行景はこれを退治し抱いて天皇に献上した。
後醍醐天皇は、「熊を懐し〔いだきし〕猛き武士〔たけきもののふ〕」とお褒めの言葉と共に、熊懐の姓と梶の葉紋を授けた。
「笠置山君が御狩に先立ちてあら熊懐く猛きもののふ
家の名にあはせて傳ふあら熊を懐きし人のその手力も 」(源建辿)[2]
翌9月2日には幕府軍が笠置山に攻め入ってきているので戦いの準備の物音に驚いて熊が出てきたものと思われる。
これより熊懐平右馬太夫波多宿祢行景[注釈 9](くまだきひょうまだゆうはたのすくねゆきかげ)と称した。[注釈 10] 行景は後醍醐天皇の勅命を受けて宮方に属し戦った。南北朝の長い戦いの中、浮羽の地域に希望の光を生みだそうと後醍醐天皇のご遺詔に従い正平元年(1346年)に山城国愛宕郡より賀茂上下大神を奉遷し生葉郡山春村に賀茂神社を建立。行景が初代大宮司となった。
なお、行景は大友氏行、貞順に従って南朝軍として戦い、氏行より(行景の)諱字(いみな)及び杏葉紋(ぎょうようもん=大友家の家紋)を賜る。(現在の熊懐家の家紋はこの抱き花杏葉紋であるが抱き茗荷であると伝えられてきたので混乱を生じていた)
行景の子、第9代宮司・熊懐大炊助波多懐朝(くまだきおおいのすけはたのかいちょう)は、大友氏行に従って南朝方に属して戦い、ことに松浦党に対して戦功を上げ、征西将軍宮から御教書を授けられ懐良親王の一字を賜って懐朝と称した。
大友氏奏を筆頭とする大友宗家は北朝に味方し、氏行、貞順の南朝軍は結果的に北朝軍に負けた。
天正7年(1579年)、大友宗麟の耶蘇教以外の神社仏閣焼き払いにより熊懐家の史料の大半は消滅したが残った資料とそれ以降の史料は熊懐家文書として福岡県有形文化財と指定されている。この文書は現在、うきは市図書館に収められている(予約すれば閲覧できる)。
熊懐家の先祖祭りが毎年10月20日に、うきは市賀茂神社で行われている。
系図
[編集]武内宿祢 | 18代略 | 波多臣広庭 | 略 | 波多次郎救家 | 久家和州 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実家 | 御衆 | 救朝 | 実頼 | 頼圀 | 頼救 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
熊懐平右馬太夫波多宿祢行景 | 懐朝 | 具行 | 大行 | 利行 | 行護 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
行永 | 幾行 | 行泰 | 久礼 | 行光 | 行家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
行謙 | 行忠 | 行直 | 行綱 | 行繁 | 行寛 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
行蔵 | 行継 | 行宣 | 行喜 | 行札(舟山) | 行矗 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
行明(武男) | 行和(末人) | 行成(嘉文) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 熊懐嘉文『賀茂神社誌』賀茂神社、福岡県浮羽郡浮羽町大字山北、1998年2月25日。 この書籍は少部数発刊されただけで時々古書として出てくるものの手に入りにくい
- 『浮羽郡案内』福岡県浮羽郡役所、1915年11月7日。
- 波多姓熊懐氏系図(拓本)
- 『笠置山集』後醍醐天皇が笠置山に立てこもられたときに作られた短歌集(複数の詠み人のうたを集めたもの)
- 『熊懐家文書』福岡県有形文化財
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- うきは市生涯学習課 (2011年2月28日). “熊懐家文書 - 歴史・伝統文化”. 福岡県うきは市ホームページ. うきは市. 2009年9月1日閲覧。
- “ようこそ道の駅うきはへ”. 道の駅うきは. 2009年10月22日閲覧。